HAPPYBLOGファンのみんなおはようございますーーー。(^^♪
金曜日は沖縄は人間学だったけど、沙織のリポート面白かったよね〜〜。さすが先生のツボを押さえつつ、内容もしっかりキャッチしているっていうか、藤沢のセミナーでは共時性も起きて衝撃だったんだよね〜〜。😲
さて、今日は、子育て革命「教育の原点」のテーマにもなった号のTe-Fa13号の紹介だよ。
親力プログラムのテキストとしての第一号なんだけど、なんでスタートが「教育」なのか?っていったとき、そもそも「思い込んでいる価値観」が違うから・・・教育からやり直し!?って言ったらわかるかな~。
あと必ず掴んでほしいのは『人は愛されて生まれている』ってこと。生まれた時点で愛されているんだよ??
特に、由貴子の助産師になったきっかけを書いた記事は、妊婦さんだけでなく、女性や、すべての人にも読んでほしいと思う。
きれいごとではない・・とはいうものの「命が生まれてくる」というのは本当に素晴らしい瞬間だと思う。以前読んだ人も、ぜひ、その瞬間を思いだしながら、また、読んでほしい。
P6 由貴子の育児は育自 ⑬
『人は愛されて生まれてくる』/池原由貴子
「人は愛されて生まれてくる」
私が、助産師になったきっかけは、この言葉でした。
高校を卒業して、いったん就職したものの、自分の道を模索している日々でした。
ある日、たまたま見ていたテレビの特集で「助産師」という職業が私の目に留まりました。それは、一人の助産師が自宅出産に関わる内容でした。
「産婆さん」という言葉やイメージはあったものの、実際にその姿や働く様子をみるのは初めて。そして出産シーンを見るのも初めての私は、決してきれいごとではない世界のリアルな現場に言葉を失い、思わず息をのんでいました。
私はいつの間にか、懸命な母親の姿に心を吸い込まれてしまい、まるでその場に立ち会っているような緊張感で見入っていました。会ったこともない人たちのことをこれほどまでに身近にリアルに感じる出産の現場に必死で励ましを送っていました。
~省略~
一人の人間がこの世に生まれた時、そこは言葉の要らない世界。そこにいるすべての人間がその命を祝福し迎える場所。命が誕生するということ、命を産みだす母親というもの、家族の絆。
そこに何があるかはわからない感覚でしたが、裸の我が子を泣きながら無我夢中で抱きしめている母親の姿と周りの見守る笑顔がすべてを物語っていました。
『人は愛されて生まれてくるんだ・・・・』
その事実を私は初めて、体感として感じました。そして自分自身もそうなんだということ。私は愛されて生まれてきたという事が大きな波のように私の中に押し寄せて、涙となってひたすら流れていました。
一人の子供のように、声をあげて泣いている自分がいました。それまで何も反応しない、まるで死んだような心が泣いていました。私の魂が震えて叫んでいました。
理屈ではない世界。言葉では言い表せないこと。
命は愛されている。命って凄い。ただただ凄い。
その瞬間、助産師になろうと何の根拠もないまま、ためらいもせず決めました。それからは、ただひたすら目的に向かって進んでいました。
「助産師になりたい」
その想いのみでした。
~~~~~~~~~
『あなたは愛されて生まれてきた』
『生まれてきてくれてありがとう』
『私は生まれてきてよかった』
命の交流を通し、その心地を私が感じた時、私が私でいていい・・・という心地になりました。そして、私の命を感じた時、私は生きているという喜びを感じることができたのです。
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P10 親力プログラム 楽屋トーク
第一回 「教育の原点」~生きるちから~
幸美:教育の原点に戻ってというところからの話なんだけど・・・
小堀:教育イコール?
幸美:教育イコール、学問ってなっていて、結局この学問が「生きる力」だと思っているって話
小堀:学力をつけることが?
幸美:そう。生きる力になっているという考え方。それが結局、経済と結びついていたって分からなかったのだけど。“経済力”があったら社会では生きていけると思ってる。
どうしてそう思っているか?っていうと、いい大学入って、いい会社入って、いい生活ができるっていうように思っているな〜って。
さらになんでそう思っているか?って言うと、そもそも教育が間違っているんだなってところに戻ったから。だから「教育の原点」からだと思う
小堀:一人一人「生きる力」のイメージを言ってほしい。正確に!って言う意味じゃなく
幸美:どう思っているか?ってところで
先生:自分らしくって意味と、自分勝手って言う違い分かる?
〜〜〜〜〜〜〜
小堀:以前は、1人で生きていく力っていうのが、経済力に繋がっていないって思っていたんだけど、見直す前の生きる力は結果、経済力をつけることだな〜って。今は、「生きること」をすべて楽しみに変える力かな?
幸美:次・・私だね。笑「生きる力」って自分で生きていく力
小堀:セミナーで言ったの言って!!
先生:何? 三途の川を1人で渡ることじゃないの?
幸美:渡れる力!! ダイビングのフィン付けて!!笑
一同:大爆笑!!
幸美:長江より広かったらどうする?って聞かれたけど、ゴーグル付けて練習するって言ったね
恵里子:私も「生きる力」って1人でどうにかするって・・・・
先生:えっ、今、真面目な話?
恵里子:うん、ココに来て1人でできないよ〜ってところになって
先生:えっ!あんたさ?!何回、実家に離婚の話をしにきた?(恵里子を見て)
恵里子:数えきれない・・・😓
幸美:本当にあんなに多かったの? (真顔で聞く)
恵里子:毎週、土日・・・
一同:大爆笑
〇〇:毎週、土日って・・・休みの日じゃないとダメなの・・・・
恵里子:月曜日から金曜日まで仕事で忙しいから
一同:大爆笑
〇〇:あ〜〜〜、休みの日になると思い出すんだね?
先生:今度こそだからね!今度こそだからねって毎週言いにくるわけ
幸美:あんたさ?車も運転できないのにどんなして行ったわけ?
先生:歩ける距離
小堀:偉いね?歩けるって発想すらない
先生:歩けない距離は、僕が足の代わりなのに?
一同:大爆笑
〜省略〜
先生:話の冒頭に戻って「教育の原点」って言った時に、学力向上とか学問っていう話をしたんだけど、学校の学問がなんで教育に入れられているのかが分からない
由亜:そもそも?
先生:一つのものを暗記させるっていう世界観なのに、なぜ、それが教育と呼ばれているのか?僕はわからない
小堀:うん。そもそもだね
先生:学習塾に行って、教育っては言わないんじゃない? 教育塾に行ってますとか・・
教育イコール、学校っていうのでみんながカムフラージュを見抜かないまま、学校が教育をしていると履き違えたままになっていて、教育とは学校は問わなくなったんじゃないのかな?
恵里子:う〜〜ん?
先生:前に少し話したけど、小学校一年生の時に、5科目っていうのを初めて勉強したとき、幼稚園までほとんど遊びです。歌を歌ったり、絵を描いたり、粘土遊びをしたり。だけど、小学校一年生からは、教材があって勉強する。
その時に、「幼稚園生まで、なんで絵を描かせていたかわかりますか? どうしてクレヨンや粘土で遊んでいたかわかりますか?」って。
「一年生になると、国語・算数・理科・社会・体育・図工っていうのがあるんですよ。なんでこんなのがあるか分かる?」って説明からするべきじゃないのって思うわけ
先生:「5科目っていうのは、こういうためにあるわけ。あとの科目は、芸術性や感性を高めるために、音楽があり、美術があり、健体康心の基礎として体育があり、体育も4年性からは保健があり、体育を学術的にも勉強する科目が入っているよ」って。
「勉強する基礎5科目っていうのは例えばみんなが国語を勉強すると、お母さんとの会話がいろんな形でできるようになるよ」とか
一同:うん、うん
先生:「じゃあ算数って何かわかる?みんなが食べているお菓子があるでしょう?。それには砂糖が何グラム入っているわけさ、何グラムって言った時に算数を勉強している人は、このくらい入れるとこのお菓子ができるんだ」って。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
子供は「算数はこうやって使うんだ!国語はこのためにあるんだ」って。分かる?
先生:こんなことを勉強して、「さて、5科目の最初の授業は国語です」って言ったら、「国語ってこういうことを勉強するもんね」ってイメージで国語に入る
先生:僕が一番問題にしたいのは歴史なわけよ。社会。地理と歴史と公民。この三つのカテゴリーになんで分けられているか分かる?
先生:(笑いながら)三つのカテゴリーの意味わからないんでしょ?
一同:うん・・わからない
〜省略〜
暗記は学問とは言わない。
生活に根差しているのが学問。
先生:〜〜〜〜〜〜〜
自分たちが暮らしているところはこういうところなんだよ。地域の違いを基本的に分かっていく。それがまず地理だよ。
で、公民っていうのは、政治経済っていう。みんなが暮らしやすい社会っていうのは、1人では人間は「人」って呼ばれていて、2人以上は「人間」っていう呼び方に変わって、2人がたくさん集まったのものを社会って呼び名が変わるんだよ。
その社会っていうのが、みんなが上手くやっていくために、どうしようか頑張って考える人達を政治家っていうわけ。それを考えていくのが公民って科目なわけ
由亜:初めて・・知った・・・
先生:こんなの説明したら、小学一年生でもわかるさ
一同:わかるわかる〜〜
先生:一番言いたかったのは歴史だわけよ。これが実際に先生と問答したから・・
〜省略〜
先生:ここで言いたいのは、今の学問や学力向上っていうのは、生きる力、つまり教育って意味の主体に反映されていない。その一角を担うとしても、教育そのものじゃない学習塾と学校の差がほとんどない・・。
良い悪いじゃやなくて、役割の違いになっていて、それでいて、我々が親力プログラムを開発して、これを取り戻さないといけないってなった時に、親力プログラムの入り口が「やぁ〜なれ〜ぬ ふかなれ〜」になってくるわけよ。
単純に「やぁ〜なれ〜ぬ ふかなれ〜」は、家である秩序が外で反映される。家で出来ないことは、社会でも反映されないってことを言わんとしてるんでしょ?
小堀:うん本当に・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜
先生:家に秩序も文化もないのに、当たり前に社会も無くなるんじゃないの?
そこで、さっき言った自立やプライバシーが厄介な働きをすると思うわけ。家庭の中でちゃんとした秩序が習慣つけられていない、生活秩序がない。
人生って、自分っていう人間性の文化だと思わないと、自分のストーリーを創らないさ?人間1人が一つの文化財って思って生きないと
小堀:本当ですね
先生:1人1人がちゃんと個性を持ったドラマを創らないといけないんだけど、生活秩序とリンクさせながら。
でも、そんな感覚ではなくて、生きるのに必死で。ターゲットは生き甲斐ではなく、お金なので。
家庭が、まず、そういうイメージ、そういう場所なのか。次に働く目的が生き甲斐なのか?お金そのものなのかによっても、働いている意味も価値も全然違う。
幸福度、幸福感も全く質が違うと思うわけさ
そういう意味で、「教育の原点」っていった時に、すごい難しい。原点そのものが消え去っていないかな?
家に戻ってもダメ、学校に戻ってもダメ、どこに行ってもダメ。教育の原点はどこから掘り起こしてこればいいの?っていうほど、見当たらないんじゃないかな?
一同:うん
先生:だからある意味、もうちょっと家庭っていうのは、社会のひな型で、ひな型っていうのは算数みたいな科学なんだよ。家庭の延長線上が社会なんだよ
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さてどうだったかな?。持っている人はほんと何度でも読み返してほしいんだけど、最近特に思うのは、愛メシセミナーや1010HAPPYのセミナーで沙織が「自分の信じているものが100%間違っていた」って言ってるけど、やっぱり聞こえてないと思うってこと・・・。
なんで学校行かせるの?
なんで勉強するの?
なんで結婚するの? といった質問に答えない。
質問がいいか悪いか?ではなく、質問自体を正しい・間違いという自分の物差しで、自分自身をジャッジしてる。
”あっ・・学校行かせたらだめなのかな?” ”あっ、勉強させないと、いい就職できないし”とか、自分なりの解釈、価値観を持ったままで、問い直そうとしていない。
この質問は『問い』を起こさせるためにしてるんだよ。
白黒つけないこと、グレーでおいていることは必ず”問い”を起こす出来事、現象が起きるから、自分で問いをもって白黒つけたほうがいい。
「教育の原点」といった時、子供たちの未来を握っているのはお母さんあなたです。
そのお母さんが、自分なりに頑張ってます、それぞれの家庭の価値観で良いと言ってはいけないんです。
これから社会を担っていくのはあなたが育てた子供たちです。
どんな子育てをしたいですか?
あなた次第で、社会はどんなふうにでも変わっていけるんです。
【各号目次】
Te~Fa13号
◯講演会 感想
パートナー&セクシャル講演会
「女と男の気持ちい関係」
◯えりこの天然幸母 ◆「一緒がわからないオヤジ」
◯1010HAPPY講座
◆由貴子の育児は育自 13
~人は愛されて生まれてくる~
◯親力プログラム
◆親力プログラムの楽屋トーク ~教育の原点~
◆愛を拒む私 小堀美奈子
◆生きる力は家庭から 宮良幸美
◆YuaLine
~「生きる力、モリモリ」~ 金城由亜
◆今月のみ〜ぱちくり
金城先生特集〜!!