新婚の頃はトーストしか焼けなかった功が、色いろとご飯が作れるようになると、作ることが面白くなったからなのか、煮魚が作れるようになりたいとか、天ぷらが揚げられるようになりたいとか始まって、色んなメニューにチャレンジするようになった。
そんな話をするとさ・・・皆んな必ず言うわけ
「恵里子さんいいはず〜。食事を作ってもらえるって羨ましい」とか
「愛されてるぅ〜」なんてね。
そりゃーね、食べたい物が食べたい時に食べれるっていうのは、確かにハッピーだよ。
有難いよ🌺
でもね、そればっかりじゃないわけさ。食事作りに凝られても困ることもあるわけ。
例えばさ、サンマ事件。
サンマ事件といえば、私たち世代はさ?
1966年に沖縄には「サンマデモクラシー」って、沖縄あげての裁判があったわけさ。サンマにかかる、課税のことなわけね。
そのことを思い出す人もいると思うけどさ、これ、今の消費税とか、関税とか、皆んなの家計費を圧迫し続ける税金がおかしいって沖縄の主婦、オバーが起こした裁判なわけさ。
凄いって思うわけさ。
みんな、一度調べてほしいわけ。
ただの主婦、されどうちなぁスーパーオバーなわけさ。
玉城のオバー、ほんと見事やっさーって思う。
心の声・・・ みんなもえーりのことそう思っているはずね。ふふふ
あっ、で、えーりのサンマ事件はそんな高等な話じゃないよ。
今はサンマも獲れないって言ってて、ほぼ食卓から消えてるさ〜?もう何年も前のことなんだけど、我が家からもサンマが消えたって話。
それはどういうことかと言うと、ある日、サンマに凝った功が言うわけね。
「サンマ料理に納得いくまでつくり続ける❗️」って・・・
はっ??? なんだってー???
それ宣言?
そんなのひっそりやってくれよと恵里子の心の声。
最初はさ、おー良い心がけやないか〜
(ルネッサーンス)って思ったよ。
熱意はかったよ
でもさ、わかる?
あの生臭いサンマだよ。
それを毎日食べるとしたらどう?
上手になるまで続けるってよ? どう?
あんただったら何日食べ続けられる?
サンマを上手にこしらえることからスタートしたわけさ。
上手くさばきたいってことから始まったわけなんだけど、
さばいたサンマを捨てるわけにはいかないから当然食べるさーね。
初日は刺身で食べたよ。
確かにそれは美味しく食べた・・・・。
で、食べてる間、言うわけさ?
「包丁の切れ味が悪いから綺麗に切れなかったから、明日は剃刀でやってみる!きっと綺麗な切口になるはず✨」ってネ。
えっ?
ママゴトじゃあるまいし、カミソリ?
そんなんまでしてやらんでいいからと、恵里子の心の声は呟く。
だって、サンマだよ。
あの匂い、流石に連続は厳しいよ。
でも、気を取り直して、ウチは言い聞かせる。
恵里子よ、心配することはない。
明日になればきっと功は忘れているはずだ!
そう思っていた・・・ところが・・・
翌日、仕事終えて、サンマを求めてスーパーへ向かう功。( ;∀;)
本当にサンマを買って帰るーーー
なにもそんなに熱心にならなくても、、、と焦りながら力なく呟く恵里子。
功には小さい声は届かない😂
イヤ、その時の功には大きい声も届かない。
よって、その日もサンマの刺身は7:3で功と恵里子の胃袋へと納めた。
ウチはサンマを逃れるために、
「綺麗に切れてる。綺麗にこしらえられてる」と褒めちぎった。
ご機嫌になった功。
気を良くした功を見て、よし!これでサンマは卒業だ❗️ と、思った。
が、、、卒業は卒業でもサンマの刺身からの卒業だった。
功、なんて言ったと思う?
「明日はサンマの塩焼きにしよう🎶」って。
なんでそうなるーーー💢
たった今、サンマ認定書あげたやんか!
聞こえんかったかーーーー💢
滅多に褒めないウチが褒めたんだよ💢
刺身の次は塩焼きってかーーー💢
どう調理してもサンマはサンマや、鯛にはならん💢
何でもいいからサンマを頭から消してくれ!って心からそう願ったよ。
でも、功にはウチの悲痛な声は届かんかった。
確か金城先生が言ってたな〜
「○○だけはやめて!ではなく、○○して欲しいと、想いを真っ直ぐ伝えなさい」って。
それを後になって思い出した。
残念!
恵里子チーン 🔕
そんでもって、サンマの塩焼きも焼き加減うんぬんで3日ほど続いて、
その次にきたのが蒲焼!
蒲焼の時は味付けを教えるために
そばに付いて教えてたからどんなだったからよ。
いつも通りのサイズなのに、なぜかサンマが巨大化したように見えるわけよ。
本当に。
なんで、ウチがサンマに悩まされないといけん!
どうやったって間違ってる!
焼き上がるサンマを眺めながら
この巨大サンマを食べないといけないのかな、、、😂って恐怖すら感じてた。
そんでもって蒲焼も3日連続。
さすがにその頃から
食欲ダウン、ダウン、ダウーンーーーー。
ダイエットするって言えばよかった。
なら食べなくて済んだかも。
その頃からゲップどころか吐く息、身体からもサンマが臭う気がしてならなかった。
マジで。
塩味から蒲焼、調理方法が変わろうが、
何であろうが、サンマは嫌いだーーーと叫んだ❗️
1週間ほどのサンマづくしで、私はサンマを見るのさえ嫌になった。
ついには功も。
功はいいさ、自らの挑戦だから。
功は身から出たサビちゅーもんでしょ。
でも、ウチはトバッチリだよ。
完全に!
このサンマ騒動から2年間、私たちはサンマを一切口にしなくなった。
イヤ、できなくなってた。
なぜなら、サンマ食べ過ぎて、サンマと同化していたからだ。
お陰でウチなんか、金城先生に、「顎が尖ってる」って言われるようになったんだからね💦
サンマは外食では口にするけど、今だに自宅では食べてない🤣
しかも、3年過ぎた頃、サンマの塩焼きが食べたいって功に言ったらなんて言ったと思う?
「サンマはもういい💢サンマは食べん」って怒って言うんだよアイツ。
続いた時、ウチが何度もやめてって言っても無視したくせに、はぁ〜?なんでお前が怒るって感じ。
だから、我が家の食卓からサンマが消えているわけさ。
現在も、、、
教訓❣️
いくら好きでも程度を知ろう。
どんなに栄養が良くても偏ると毒になる❗️
精神までも病むから❗️
最後に、冒頭にあげた『サンマデモクラシー』で検索してどんな裁判だったかを見てよ!?
この裁判からは女性、アンマー(方言でお母さん)の諦めない芯の強さが見えてくるから。
すべての女性が玉城のアンマーのように生きないとダメ