今月のHAPPYBLOG一押し!記事は、『真志喜家の台所』。
”台所”と言えば、女性、主婦のお城!というイメージ。
だけど、私(幸美)が思うに(事実なんだけど)女性の社会進出や高度成長期という社会情勢の流れに合わせて、カットされた野菜やインスタント食品、電子レンジの普及によって、台所に立つ女性、包丁を使う女性、主婦が事実上減っていると、メディアで見たことがある。
私にとって、えーりは姉である以上に、お母さんという感覚が強い。子どもの頃から、家のこと、食事に関してはもちろん、掃除、洗濯はすべて小学生の頃からやっている人だけに、もう身体にしみ込んでいて、「当たり前」になっている。
「当たり前」だけど、当り前じゃない。
恵里子さんの記事に、先生との関りの記事(ソーセージ事件)を読んだことがある人は分かるだろうけど、小学生の時にすでに「覚悟」を決めた人なんだよね。
私がそれを語ることは出来ないけど、そういうことも含めて、恵里子さんの台所に対する想いは別格。
皆さんは、女性として、主婦として、家族を想いながら台所に立つと思うんだけど、この「想い」。
これが、今年に入ってからの人間学でずっと先生も言ってること。
たかが、台所、されど台所!
恵里子さんの記事を読むことで、またひとつ、台所、食事を作る方々が、大事にするものを、生きる価値観を見直してみてほしい。
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『真志喜家の台所』
私達がここに移り住んで早25年になる。
この家を購入した頃の私たち夫婦は30代後半で、当時子供は、小2と幼稚園児だった。
夫が長男ということで、この一軒家には私たち家族以外にも、夫の両親とまだ独身だった義妹と暮らし、階下には姉夫婦が住んでいた。
築何十年も経った中古物件で、広さも十分ではなかったが、当時の私たちにとってはそれが精一杯。気に入ったから、購入した物件ではなく、いろいろな事情が相まってこの家を購入したという訳。
家を構えるというと、ふつうに、なりに夢や希望があると思うが、当時のえーりには何ひとつ自分の希望が叶うことはなかった。
夫だけが長男という責務を果たした感に安堵していたと思う。
流し台は、入居前に取り替えてくれるということだったが、夫が替えてくれたのは長期滞留品の流し台のようで、おまけにガスコンロとシンクは柄違い・・・。
お世辞にも「いいねぇ」なんて思えるものではなかった。
子供の頃から台所だけには思い入れがあったのだけに叶わないことが悲しかったけど、それが「我が家」との出会いであり、スタートだった。それからは毎月の生活費と住宅ローンのギリギリの中、少しづつ少しづつ貯金してはリフォームを繰り返しながら、住みやすく整えていった。
そして、やっと、やっと、今、台所に手が延びた。
夫からいきなり台所のリフォームの告知を告げられたのだ。
今ある色違いの流し台を撤去し、えーり希望の白のホーローの流し台へと取り替えてくれるという。
ほんの数日前までは予算が捻出できないといってリフォームする気配は微塵も 無かったのに、いきなり告げられてえーりはあまりの嬉しさに言葉をなくした。
えーりにはしっかりとしたイメージがあったから直ぐに手配ができ、工事の日時までがスムーズに流れた。取り壊す前にしまってある物を取り出し、「これまでありがとう。ご苦労様でした」の想いで流し台の掃除をした。
毎日のように「取り替えたいな〜」と思いながら立っていた台所だったが、これまでの25年間が走馬灯のように思い出されて、いきなり胸が詰まった。
食べない夫の夕食を何十年も作り続け、子供のメニュー違いの朝弁と昼弁作りに立ち続けた3年間。
息子が小学生の時、残業で遅くなったえーりに代わっておでんを作ってくれたのにあまりの感動で食べれなかったこと。体調が悪くても食事を作り続けたこと。
決して楽しいことばかりではなかったけど、どんな時でも家族への想いだけは持ち続けながら立ち続けたのがこの台所だった。
家族に食べさせたい。喜ばせたいの気持ちがえーりを元気にさせてくれていたことにその時気づいた。辛いことがあっても家族を想う気持ちだけが支えで、その想いで立っていたことに気づき思わず涙がこぼれた。
それがえーりにとっての台所なんだって思った。
取り壊しの日がきた。
予定の時間よりも早く業者が来て、家の中の養生が組まれていった。
そうするうちに取り壊す音が聞こえ始め、えーりはその音に耐えられなくて足速に家を出た。
これまで支えてくれていた台所が壊されていく。
もう台所はただの物ではなく、えーりの相棒のようなものになって、愛着あるものになっていたことに気づいた。
思い通りの綺麗な台所は当然嬉しいことなのだが、それよりも想いを寄せることがもっと大切なことなんだと今感じている。
想った分だけ、大切にした分だけかけがえの無いものになっていくものだということを台所が教えてくれたことだった。
家族を想う気持ちをこの台所は応援してくれていた。
そんなことに気づいた今、愚痴っていたことを申し訳なく思うと同時に深い感謝が込み上げる。
この新しくなった台所に立つたびに旧友、この出来事を思い出すだろう。