『台所が教えてくれたこと』

『台所が教えてくれたこと』

これは私たち真志喜家の台所。ここに移り住んで早25年になる。

この家を購入した頃の私たち夫婦は30代後半で当時子供は、小2と幼稚園児だった。

夫が長男ということでこの一軒家には私たち家族以外にも夫の両親とまだ独身だった義妹と暮らし、階下には姉夫婦が住んでいた。

築何十年もたった中古物件で広さも十分ではなかったが、当時の私たちにとってはそれが精一杯だった。

気に入ったからその物件を購入したのではなく、いろいろな事情が相まってこの家を購入したという訳。

家を構えるというと、なりに夢や希望があると思うが、当時のえーりには何ひとつ自分の希望が叶うことがなかった。

夫だけが長男という責務を果たした感に安堵していたと思う。

入居前、流し台を取り替えてくれるということだったが、夫が替えてくれたのは長期滞留品の流し台のようでオマケに柄違い。

お世辞にも「いいねぇ」なんて思えるものではなかった。

子供の頃から台所だけには思い入れがあっただけに叶わないことが悲しかった。

それが「我が家」との出会いであり、スタートだった

それからは毎月の生活費と住宅ローンのギリギリの中、少しづつ少しづつ貯金してはリフォームを繰り返しながら、住みやすく整えていった。

そして、やっと今、台所に手が延びた。

夫からいきなり台所のリフォームの告知を告げられたのだ。

今ある色違いの流し台を撤去し、えーり希望の白のホーローの流し台へと取り替えてくれるというのだ。

ほんの数日前までは予算が捻出できないといってリフォームする気配は微塵も 無かったのに、いきなり告げられてえーりはあまりの嬉しさに言葉をなくした。

えーりにはしっかりとしたイメージがあったから直ぐに手配ができ、工事の日時までがスムーズに流れた。

取り壊す前にしまってある物を取り出し、「これまでありがとう。ご苦労様でした」の想いで流し台の掃除をした。

毎日のように「取り替えたいな〜」と思いながら立っていた台所だったが、これまでの25年間が走馬灯のように思い出されて、いきなり胸が詰まった。

食べない夫の夕食を何十年も作り続け、子供のメニュー違いの朝弁と昼弁作りに立ち続けた3年間。

息子が小学生の時、残業で遅くなったえーりに代わっておでんを作ってくれたのにあまりの感動で食べれなかったこと。体調が悪くても食事を作り続けたこと。

決して楽しいことばかりではなかったけど、どんな時でも家族への想いだけは持ち続けながら立ち続けたのがこの台所だった。

家族に食べさせたい。喜ばせたいの気持ちがえーりを元気にさせてくれていたことにその時気づいた。辛いことがあっても家族を想う気持ちだけが支えで、その想いで立っていたことに気づき思わず涙がこぼれた。

それがえーりにとっての台所なんだって思った。

取り壊しの日がきた。

予定の時間よりも早く業者が来て、家の中の養生が組まれていった。

そうするうちに取り壊す音が聞こえ始め、えーりはその音に耐えられなくて足速に家を出た。

これまで支えてくれていた台所が壊されていく。

もう台所はただの物ではなく、えーりの相棒のようなものになって、愛着あるものになっていたことに気づいた。

思い通りの綺麗な台所は当然嬉しいことなのだが、それよりも想いを寄せることがもっと大切なことなんだと今感じている。

想った分だけ、大切にした分だけかけがえの無いものになっていくものだということを台所が教えてくれたことだった。

家族を想う気持ちをこの台所は応援してくれていた。

そんなことに気づいた今、愚痴っていたことを申し訳なく思うと同時に深い感謝が込み上げる。

この新しくなったこの台所に立つたびに旧友、この出来事を思い出すだろう。

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