HAPPYBLOGファンの皆さんおはようございます(^^♪
今日はEnRichの特別編で、「やーなれぬ ふかなれー」記事を掲載しますね。
還元祭で一度、EnRich2号は紹介しておりますが、
今月5号(5/15公開)のLIFEVISION新聞の楽屋トークのテーマが「生活秩序」。
「子は親の鏡」という諺があるように、
家でできないことは外でもできない、家ですることは外に出てもする
という意味で、親が子供の見本となるのが本来の家庭のあるべき姿。
「やーなれーぬ ふかなれー」の大切さを
身を以て経験した小堀さんの記事。
ぜひ、LIFEVISION新聞と併せて読んでくださいね。
EnRich2号 P74
「やーなれーぬ ふかなれー」
記 / 小堀美奈子
家庭での単純な「生活観」。それはあいさつに始まり、食器洗いや洗濯、「食育」を含む食生活や運動、衛生教育としての歯磨きや入浴、そしてお掃除、すべての 個人の「生きる力」とは その当たり前の生活の中にこそ 習慣化されているべきことです。
そして 心や 情緒の安定 生理的欲求、(愛情)と肉体的健康は 家族「集団意識の育成」から始まります。
集団的ルールの 学習や 行動的・精神的「集団秩序の 基礎」を家庭で 身に付けることは、環境への 適応性と 環境改善への関心 活動性を高め 将来の「社会秩序」へと 拡張されていきます。
また「 衣 食 住」の保護的観点から
「衣」とは、あいさつに始まり、規律と身だしなみ、礼儀、礼節、そして家族という集団秩序を 身に付けさせることです。
「食」とは、栄養と 肉体的健康を 促進し脳の発達も含め、伝統と 文化を学び生きる力 そのものへの栄養を差しします。
「住」とは、帰属意識の安定から 地域社会との 社会性の育成、生活の基礎となる 炊事・洗濯・清掃など、暮らしそのものへの 学習と 生活力を身につけさせることです。
生活秩序と行動模範の基本中の基本です。
今回は、私が小学校4年生の時 親友の死を期に自分自身の生き方を、大きく変えたことを心の強さの育成として親力的な観点からお伝えします。
本誌Vol.1(女性が世界を変える時)でもお話しましたが、その時の変容はとても凄いことなのです。
小学校3年生までの私は「母親の愛情をどうしたら貰えるのか?」そのことばかりを考えて生きている子供でした。精神状態や情緒も落ち着かない子供だったのです。その私が、親友の死をきっかけに変容しました。
「変化と変容」は、言葉以上に大きな違いがあります。
変化は、これまでの延長線上で部分的な変わり方です。
変容は、まったくの別人になるほど、根本から人間性を変えることです。
友人の死を機に「母親の愛情を求める」ことから「自分のことは、自分でどうにかして行こう」と、自分の性格から態度、行動をすべて変えたのです。私が育ってきた家庭は、金銭的にはかなり豊かな環境でしたが「やーなれぬ ふかなれー」から遠くかけ離れていました。
「第一期・心を育む0~7才」
『人間力のしくみ』の資料から成長サイクル第一期0~7歳は、集団生活の力とあります。家庭において 基礎的人間愛を 育成する大切な時期です。その時期のスキンシップや母親との直接の関わりは、子供の心の育成に繋がっており、子供の情緒・情動の安定を育てていくのです。心の栄養を育むことがとても大切な時期なのです。
その情緒を家庭で培う時期に、私たち姉妹は、子供部屋を与えられました。(余りにも幼すぎました)。九時になると部屋の灯りを消され、幼い姉妹二人で寝ていました。親と離れることになったのです。
日中は、仕事で離ればなれ、家族間の距離が遠い上に、唯一、家族団らんであるはずの夕食は、「早く食べなさい。」と急かされ、食事のマナーを注意される場でした。時代は高度成長期、両親の価値は経済的に豊かになることですから、必死だったことも理解しています。
私にとって母親とゆったりのんびりと時間を過ごすことは、ほとんどありませんでした。そして、両親が躾の中で良く言っていたのは「自立」でした。
「自立の前に大切なことは」
『親力と子育て学』の観点から「自立」促す時期は、0~7才にしっかりと情緒・情動の安定を培って後に「自立」の意義があるのであって、人生も何もかもが「絆」が繋がっているからこその「自立」なのです。心の免疫力がないままの「自立」とは、単なる身勝手な生き方で 自由のはき違いを起こしかねないものです。
☆絆の繋がった「自立」は、他立・自律 そして、自立というちゃんとしたプロセスがあります。
父は、事あるごとに
「誰が食わしてやっていると思ってるんだ」
「誰がこの家に住まわせてやってると思っているんだ」
と、高圧的な態度で私たちを怒りました。
脅しで行う父の教育、その父の態度に対して、逃げ腰に無関係を装う母親、私が育った家庭は「やーなれぬ ふかなれー」の観点(子供の立場)から見て 自立ではなく放置に等しい態度です。
私は、こんな両親の様に 子供とは 関わらないし、自分の家庭はそんな家庭にしたくないという思いを持っていました。もしも 私が 成長サイクル第一期「好かれたい 愛されたい」態度のままだったら間違いなく 今の私の家庭や人生に そのトラウマを強く引きずっていたことでしょう。
「関係性と親の模範」
四年生の時の経験は、私自身の自覚や自己責任を目覚めさせていたのです。
四年生は、ちょうど第二期(八~十四才)関係性の中で 自分自身を奮い立たせ 協調性を学ぶ 大切な時期です。親友の死をきっかけに自分を変えることを通して「将来 こんな親になる」と決心したのです。
「自立や、やーなれぬ ふかなれーを子供に与えられる親になろう」という決心や学びが、今、私の家庭や人生に反映されています。
「やーなれぬ ふかなれー」を言葉上 言うのは簡単ですが、言いかえれば、「子は親の鏡」「親の背中を見て 子は育つ」という意味から、見れば「親の様になりたい」と尊敬されていることが親子の信頼関係になっているべきです。
人は「変容」することによって、「やーなれぬ ふかなれー」を継承できない 家庭環境に 育った私でさえ 飛躍的にすばらしい家庭を築き「私の様な家庭を あなたも創りなさいね」と子供たちに言えるようになります。
「娘の 道徳心」
ある日、私は両親のケンカの仲裁に入って母をかばって、父と言い争いになりました。五十年近く、連れ添った母に対して父は「お金を出せばお前の変わりはいくらでもいる、誰が養ってやっていると思っているんだ」という罵声を浴びせかけていたのです。
感謝知らで失礼な態度を許せず、「お父さん、その言葉はあまりにもひどいし、礼儀知らずだよ」というと、父は「きさま!生意気なこというな」と私に殴りかかったのです。
それを見ていた 小学三年生の娘は、私と実父の間を割って入ってきました。実父は、180センチもある大きな人です。 言葉も 態度も 威圧的で、怖いのに娘はひるむこともなく「おじいちゃんが間違っている」と殴る父を止めに入ったのです。
母をかばって言い争いになったのですが、それにも拘らず、母は、殴られる私をただ見ていただけなのです。自宅に戻ると、母が訪ねて来ました。殴られた私に向かって「父に、歯向かうあなたは非常識!」と言ったのです。私は、冷水を浴びせられた感覚になりました。
「いかなる時も夫を立てている良い妻」という価値観を持っている母です。母に対して、「孫も娘もあなたをかばったのになぜ見ていたの?おかしいいよ」「なぜ、止めなかったのよ」と、とがめると「怖かった」というひと言でした。とても悲しいことです。
娘は、相手が誰であれ ひるむことなく 「おかしいことはおかしい!」としっかりと行動していました。
娘とは、日頃から 些細なことから色々なことを話し合っています。娘が一方的に話すこともあれば、私自身も今、大切に思っていることを、子供だからという気遣いは一切なしで話しています。毎日の会話を通して培ってきたことは、互いの信頼関係を育てています。その土台があってこそ、母親だからかばうという、端的なことではなく、人として、人がやってはいけないことを、9歳の娘は理解していたのです。
愛着の原理がしっかりと育まれ、心の強さが表れたこと、娘の姿勢を見たとき、人としての 道徳心をしっかりと身に付け 意思表示を明確に行動として表すことに、親として誇りに思いました。
「やーなれぬ ふかなれー」とは、心の育成を土台として 行動の模範があることを実感したのです。
親力の根底には 深い人間愛や慈しみの心を育む ねらいがあります。
親自身が生きることを喜び 生活を楽しんでいる姿がとても大切です。
理屈抜きに子供を抱きしめて愛情、態度や言葉で子供にしっかりと伝えることです。
母親の笑顔や素直な関わりが子供の情緒・情動を育てることなのです。
「やーなれぬ ふかなれー」のまず一歩は、心の育成からなのです。