『やっぱり愛は愛を呼ぶ❣️』
前回の「じーちゃんが来た〜」の続きを紹介したいと思う。
これは、事実を観ることが愛に繋がることだって思えた話。
じーちゃんが来て、一緒にご飯を食べてから数ヶ月か経ったある日、じーちゃんちに、じーちゃんの顔を見に行った。
何か用事があったわけではなく、元気かな〜って、ただ顔を見に行く。
ただそれだけのこと。
それと、自分たちの元気な顔を見せることが年寄り孝行と思ったから、よく会いに行ってた。
そんなんで、じーちゃんちへ行った時のこと。
お茶して、そろそろ帰ろうかと思って、台所でお茶碗を洗っていたら、そこへじーちゃんがこっそりと来て、また、えーりに何かの足しにといって2万円を渡そうとした。
「生活はできてるから要らないよ」って言っても、じーちゃんは家族から隠すように渡そうとする。
そのじーちゃんの強引さというか、必死さに負けて「ありがとう」って言って受け取った。
じーちゃん:恵里子、じーちゃんはな、闇雲にお金を渡さない。 人を見て、あげているんだよあげているんだよ。この間、あなたの家でご飯食べた時、あなたはあるったけのものをはたいて、じーちゃんにご馳走しただろ?
えーり:何で知ってるの?あの時はイサオの給料日前だったから、、、
じーちゃん:おおよその事はわかる。若い夫婦に人をもてなす余裕なんてあるわけがない。でも、恵里子あなたはやってくれるさ。じーちゃんはそのことに関心してる。なかなかそういう事はできないよ。自分にそろばん弾く人が多いけどね(笑)でも、あなたはやってくれる人。それが嬉しい。
心の声・・・お腹が空いているからご飯を作って一緒に食べただけのことなのに、じーちゃんは大袈裟だな〜と思いながら聞いてた。
そしてこう言った
じーちゃん:じーちゃんはな、簡単には金もやらんし、貸しもせん!あげたり、貸したりすることで、その人のためにならないこともあったりするからだ。恵里子、あなたはお金の使い方を知っている。だから、あなたはお金を持ってていい。あなたは自分のためだけに使う人ではないことがじーちゃんにはわかる。だから、じーちゃんが「やる!」と言ったら、「うん」と言って、使う当てがあろが、無かろうが受け取ってたらいいんだよ。そして、あなたが必要だと思う時に使えばいい。
と、話してくれた。
えーりには自分のためだけに、お金を使おうという気はないのは確かだ。
だからといって、何に使うかはわかっているわけではなかった。
ただ、じーちゃんの話は受け取ろうと思った。
それからしばらく経ったある日、親族が集まる中でじーちゃんのことが話題があがった。
それはじーちゃんがケチという話題だった。
親戚がじーちゃんにお金の工面をお願いしたら、何度頼んでも貸せてはもらえなかったという話だった。
その人は、だいぶ前の出来事なのに相当な不満があったようだった。
長々とグチを言ったのだが、それでも収まらないその様子に、えーりは、よほど困ったのだろうと可哀想にと思いかけた時
おば:前に借りたお金返してないでしょ?
親戚:返しきれてはいないけどさ、、
えーり:えーーーー!返してないの?なんで返してない!
親戚:だって返す余裕ないからさ!
キレ気味に言い放った
えーり:返さないうちにまた借りようとしてるの?そりゃー無理!
親戚:仕事の材料費に必要なのに💢
えーり:誰の仕事?
親戚 :はっ? 俺の!なのに貸せないって💢
えーりは、その人がキレ気味なのがめちゃ頭にきて
えーり : じーちゃんがいくらお金に余裕があったとしても、ドブに捨てる金は無いわ!と言ってしまった💦
その親戚は目を血ばらせて怒って帰って行った。
内心では帰れ!って思ってたから丁度よかった。
その時、以前聞いたじーちゃんの言葉を思い出した。
『じーちゃんはな、簡単には金もやらんし、貸しもせん!あげたり、貸したりすることで、その人のためにならないこともあるからだ』
この親戚の事を言っているのだと思った。
確かにじーちゃんの言う通りだ!
この人にとって、お金を貸すことは良くないことだと思った。
これこそが事実対応✨✨✨✨✨
でも、他の親戚たちがその人にあまりにも同情的だったのでえーりは興醒めしてた🤣
今回の教訓❣️
情けは人の為ならず❣️
事実対応でいけ❣️
情けに振り回されると愛から遠く離れてしまう❣️