常夏の沖縄も少しづつ涼しくなって秋めいてきて、気持ちもほんわかする今日この頃。
なのにそんな気分を木っ端微塵にすることがあったーーー💢
それはこうだ!
最近知り合いと母親の話になった。
その人の母親の話っていうのは早くいうとボケはじめた?って話。
あぁ〜自分たち世代も、もうそんな歳になったのかっと感じながら話に耳を傾けていた。
その知人は、母親の最近の様子を話しているのだが、何か引っかかる。
引っかかりながらも最後まで話を聞いた。
聞き終わる頃にはえーりが何に引っかかっているのかが見えてきた。
その人は、忘れっぽくなっている母親に疲れイラついているのか同意がない。
母親にどう応えたかの話をしているのだけど、「そうよね〜」の同意する一言がない!
えーりはそれに引っかかっていたのだ。
母親は聞いてもらえているのか?
受け取ってもらえているのか?
いやいや母親は拒否られているとしか感じないだろうな〜と、話を聞いてて思った。
「そうよね〜」の一言が一度もない!それどころか、「いやいやお母さん違うの!私の話を聞いて!」と自分が言いたいことを話している。
完全なる自己主張and言い分🤣
これでは母親は自分が間違っていると言われているとしか思えない。
最後に母親の言葉は決まって「ほんとあなたって面倒くさいわ。だから話すのがいやなのよ!」という話に毎回なってしまうらしい。
話を聞いてえーりはもっともだ!って思った🤣
受け入れてもらえない上に、自分の意見を押しつけてくるのだから面白くないに決まってる🤣
そう思わん?
その人がよくえーりに「ねぇ〜恵里子さん、聞いて!、、、」って報告のように話してくるんだけど、自分が毎日大変なんだってことが言いたいのか、または解決策を求めているのか、ただ単に話したいだけなのか?
その人自身もわからないだろうな〜って思った。
そういえば、えーりも子供の頃その人のように、老いてゆく人にイラついたことがあったなぁ〜
えーりのイラつきにオジーが言った
幼い妹弟たちを指差しながら
オジー: これまであなたが歩いてきた道。
そして、年寄りを指差して
オジー :これからあなたが歩む道
とえーりに言った。
それを聞いてポカーンとしてるえーりにさらにオジー は
オジー : 赤ちゃんというのは何もできないからやってもらうしかない。年寄りになるとまた、何も出来なくなって人に助けてもらう。人の人生、必ず人に支えられるってことになっている。特に生まれて直ぐと、年取るとな。今のアナタは一人で出来る時にいて、人を手伝える時なわけさ。ただそれだけ!そのうちに、やってもらう側になる。それが世の常❗️人の常❗️だから、当たり前のことにワジワジーさんけー❗️(訳:怒るな)
と言った。
そうかぁ〜
そうなんだね〜って思った。
えーりが傲慢だってことがわかった🙏
それからは老いるということを受け入れられるようになったし、赤ちゃんも年寄りも人と人とを繋ぐ存在なんだと感じた。
だからオジーの『来た道、来る道』の話が聞けてほんとよかったと思っている。
どうやったって人は一人で生きていけないし、必ず誰かに助けてもらっているわけだから、本当にお互い様なんだよね。
だからありがとうの感謝しかないって話なんだね😊
そうやってオジーは諭してくれた。
沖縄では事あるごとに『ちゃーありがとうどぉー』(訳:いつもありがとう)って言葉で締めことがよくある。
どんな時も、どんな事にもちゃーありがとう😊🌺
良いことも、そうでないこともちゃーありがとう😊🌺
これ凄く深い✨✨✨✨✨
助ける者も、助けられる者も お互い様の
ちゃーありがとう
感謝❗️感謝❗️感謝❗️感謝しかない‼️
今回の教訓❣️
一人で生きている顔するな❣️
愛し愛されよ❣️