以前、人間学のセミナーで、 『石の上にも3年』って逸話について先生が話してくれたことがある。
ある人が、高明な和尚を訪ねて弟子入りする話なんだけど。
で、和尚は、石の上で座禅をするように言って、その弟子が毎日、石の上で座禅を組むって話で・・。
で、和尚はこの弟子に、毎日、
『ご機嫌いかがかな?』 と聞く。
弟子は、自分は病気なのに機嫌いいわけないだろ!って内心、思いつつも毎日、石の上で座禅を組む。
毎日、毎日、和尚に聞かれるのは 『ご機嫌いかがかな?』
弟子は、病がちっとも良くならないのに、和尚に聞かれるのは〝ご機嫌〟なのか?ってこと。
3年経ったある日、さすがに弟子が逆ギレして、病気なのに機嫌いいわけないだろ!と和尚に暴言を吐く。
だけど涼しい顔で、和尚は答える。 『自分の機嫌と病と何の関係が?』 そういう流れだったと思う。
結局、気がつけば、3年経った時、弟子の病は無くなってたんだよね。
言わんとすることは何となく分かる。深い意味でってことは説明出来ないけど。
コロナ禍になって、3年近く。まだまだ社会では、真実が報道されることはない。
だけど、振り返ってみて思うのは『問い』がないだけで、こんなにも社会情勢に巻き込まれて、右往左往してしまう。
私自身は、コロナのお陰で、今、独り身になって思うのは、ほんとありがとう。
色々あって、結果そうなったけど、幸せに生きるってなった時、自分のこの「不機嫌」をぶつけてたってことも見えて、周りは巻き込み事故。(笑)
私の思う幸せと 元旦那の思う幸せが違ってたんだよね。でも、先生が言うには、そもそもそういう人だったよ・・、なんだけど、全く、見えない聴こえない状態で家庭を続けてた。
出来事にいい悪いは無い。これは人が考えることでもなく、人知の及ばないことだらけだから。だから、今、価値観の見直し、問い直しが大事。
『どこにいても、誰といてもどんな状況でも大丈夫といえる人間力』
今、こういう時に大丈夫と思えるのは、親力のおかげかなぁって思う。
弟子の病のことも、そこから何を学ぶか?しか無いと思うんだけど、当事者はほんと深刻だよね。
当事者は深刻 って経験したから分かるけど。
先生は〝やんちゃな神さま〟の本では『感謝』って書いてある。ワクワク生きること!って書いてある。
思えば終わることなんだけど、思えない。親力では、その根本から問い直してみるとちゃんと分かるようになってるんだよね。
機嫌が悪いのは病のせい。自分に病があるから、機嫌が悪い。
機嫌が悪いのは、自分のせいじゃなく、病のせい。
だから、親力でいう『親切』、『生理的欲求』に戻される。
親切で言えば、自分の機嫌が悪いのは、お母さんに愛されたかったから。
生理的欲求でいえば、自分が思うような愛され方じゃ無かったから。
正しくいえば、嫌われたくない! お母さんという存在は、子供にとって〝命綱〟。 その命綱のお母さんに嫌われたら生きていけないという現実と思いこみ。
これは、三次元の仕組み。 それを自覚して、塗り変わってないから、嫌われないようにっていう行動になる。
だけど、 もう、大人になってるよ。 自分の足で、立ってるよ。 自分の力で生きてるよ。
その自覚が無いだけで、嫌われないように、というやり方で全ての人と関わっている。
でも、これは思考の中での世界。 思考にある価値観。
愛は 直接 って言った時に、ちゃんと周りを見る。
自分自身を見る。
あ!ほんとだね!自分の力で生きてるね。 そもそも、生きてるね!って気づくだけ。
気づいたら、生きてるよ。
スキンシップされない子供の致死率は100%。 なのに、生きてるよ それって、何かしら、必ず愛されて来たから生きてるんだよ。 生きてる自分自身が証拠。^_^ 生きてるだけで丸もうけ、 生きることがオプションって先生は教えてくれた。
だから、何だから!じゃなく、機嫌を直して(機嫌悪くする理由も無いよ) とにかく〝笑顔〟で毎日を愉しく、ワクワクで生きること。 それが、自分の生きること、命への礼儀だなぁと思う。