私は元々、航空会社に勤めていて、
幼少期から何不自由ない豊かな環境、
良い条件の中で育ってきましたが、
先生に会うまでは、
セミナージプシーとして
色んなセミナーを受けていました。
それは何故かというと、
自分が生まれた意味とか、
自分がなぜ生きているのか
分からなかったんです。
豊かな条件、
豊かな環境で言うと、
六、三、三で十二年、
小中高の学校を出てきて、
短大に入って短大から専門学校に行き、
女性で言うと花形の航空会社に
入りました。
金銭的にも豊かだし、
仕事も充実していたんですが、
なんか心の中がぽっかり
空いているんですね、
何かが埋まらないんですね。
それが何か分からなくて、
世界中旅をしたり、
ヒーリングツアーに
行ったりもしました。
行くとすごく楽しいけど、
帰ってくると空しい自分。
これが何故かわからない。
そんな生活が続いていました。
自分自身が初めて結婚したのが、
二十六歳の時で、
一年足らずの結婚生活だったんですが、
離婚した時に、
初めて“何で人は結婚するんだろう”
と問いが生まれたんです。
適齢期だから、
結婚して、
皆が働くから仕事をして、
お金を稼いで、
良い環境にいたけれど、
何か、自分の中で本当に幸せ!
って感じはなかったんですね。
離婚したときに
価値観の見直しをして、
人はなぜ結婚するんだろう、
ってなった時に、
繋がったのが、
常識とか、
建て前とかって
人が作っているものなんだなって
思ったんです。
離婚したときに、
それまでは人の目を凄く気にする
自分がいたんですが、
誰にどう思われるかとか、
一番気にしていたのが母親との関係で、
お母さんにどう思われるか、
お母さんの思う良い娘でいたい。
と思っているものが色々あったんです。
そうしたら、
命を輝かすとはどういうことなのか、
自分がせっかくこの地球に
生まれたからには、
自分の命を輝かせて生きたいと思って。
初めて誰かとの関係ではなく、
“私が幸せになりたい!”
って思ったんです。
それから、
自分の人生設計を立て直して、
それからパートナーが必要かどうかとか、
そういった事も全部ノートに書いてみて、
結婚には興味はないけれど、
一生一緒にお互いを支え合ったり、
応援してくれるパートナーは
私には必要だなっていうことで、
細かく書いていました。
唯一その時の私が
経験してなかったのが、
子供を産むことだったんですね。
子供を産んだ先輩や後輩をみていて、
命を生み育てている人って何か違う!
って芯が入っているなって感じてて。
子供を産みたい!
命を育ててみたい!
ってワクワクしていました。
再婚して、
二年半後に子供を授かったんですが、
授かった時はとっても
嬉しかったんですね。
妊娠したときに、
私は初めて自分のことを
“生まれてきてよかった”
って思えたんです。
でも、次の瞬間に思ったのが、
この命を私が一から育てていくって
考えた時に、
走馬灯のように十二年間学校で学んだ、
因数分解とか、
いい国つくろう鎌倉幕府とか、
全く命に関係ないじゃん!
って思いました。
日本の教育、
私が受けてきた教育って
何なんだろうって。
本当に憤った時に、
こんな大事なことを
誰からもどこからも教わらないで、
皆は子育てしているって事を
感じたんです。
おむつやおっぱいをあげる
お世話の方法はわかっても、
この子の人間性を育てながら、
培っていく方法なんて、
本当にわかってないんだって、
“知らないことを知らない”
って初めてわかったんです。
その時に、
絶対
命の教室っていうのを創りたいし、
探したい!
って感じていました。
そうこうしている内に、
年子の第二子が生まれました。
その時に出逢ったのが金城先生でした。
ちょうど私は産休中で、
後半年後には会社に復帰予定でした。
三十六歳で、
四十歳からは命の教室とか、
子供と女性をサポートする。
そういったものを創る
仕事をしたいなって
いうのをまたビジョンに
書き加えていたんですよね。
「とにかく、
面白い先生がいるから!」って、
金城先生のセミナーに友達に誘われて、
ずっと、
セミナージプシーだった私は、
誰かから教わるんじゃなくて、
子供を産んだから
実践だよなって思っていて。
セミナーにはうんざりしている
ところでしたが、
友人が熱心に誘ってくれていたので、
行った縁で出会ったのが
金城先生だったんです。
沢山のセミナーにも行ったり、
私も現場では教える立場でもあったので、
色々みてきましたが、
先生と最初出逢った時に、
自分の子供との関わり方とか、
お皿の洗い方とか、
布おむつを使っていたとか、
「子育ての話をするから、
僕自身もちゃんとやっているよ」
と言った時に、
“この人は本当に
命の一番大事なことを
丁寧に生きているな”
って感じたんです。
その時に先生の前のテーブルに
“心臓”が乗っているのが
みえたんです。
“この人、本気だ”
って思いました。
先生が、
「子育ての第一義務者はお母さんですよ」
って言ったんです。
その時私は半年後に復帰を
目の前にしていたので、
この先生、
女だけに子育てをさせようと
しているって聞こえたんです、
で、こんな性格なので(笑)
すぐに手をあげて、
「先生、そうやって言うけど、
女性だけに子育てさせようとしていない?
どんなに女性が慈しんで育てても、
男性は戦争するじゃない」
って質問したら、
先生が凄く良い顔で、
「いい質問するね」
と微笑んで、
「子供が大きくなって、
鉄砲を向ける人になるのか、
花束を贈り続ける人になるのか、
お母さん、あなた次第です」
って言われた言葉が
私の中で突き刺さったんですよね。
それまで、
子育てはできるってどこかで
自惚れていたんですが、
だけど、
その時に私が十月十日
子供を育ててきて、
夜中もおっぱいやおむつを替えて、
ここまで育ててきたいうことを見た時に、
本当に私なんだと感じました。
「鉄砲を向ける人か、花束を贈る人か」
という先生の言葉に、
“この人はそういう人を育てる
方法をわかる人なんだ!”
ってわかったんです。
そして、
今まで私がセミナージプシーで
探していた答えはこれだ!
ってわかったんです。
だから、
自分の中に今までぽっかりと
穴が開いていたのが、
ほっとしたんです。
ようやく見つけた!って。
それからの私の歩みは
EnrichやTe-Faで読んでほしいんですが、
そこから仕事の復帰を止めて、
先生のお手伝いをさせてもらって、
円隣株式会社を立ち上げて
現在に至ります。
それまでは人間学的な
セミナーをしていましたが、
「花束を贈る子供」と言った時に、
先生の資料を見ると、
“チャクラをベースにした
年齢に応じた人の成長サイクル”
がちゃんと書かれていたんですね。
これを見た時に
「先生、
子育ての現場って
学ぶ方法も手順もないんですよね、
だからこの人間学のベースを
子育てに変えられませんか?」
ってお願いして作ってもらったのが
親力プログラムです。
子育てにはやり方も方法もあるんです。
親力プログラムは
子供をどうこうすることではなくて、
親の私自身が学ぶことによって、
子供に花束を贈る子育てを
手渡すんですよね。
これを学んだ時に、
航空会社にいて、
業務を教えられても、
人間性を培う人材育成なんて
できる会社ってないんです。
内面からの笑顔を出せるような
人間教育が親力プログラムでできる!
ってわかった時に、
自分の子供たちに丁寧に一年一年、
子供達に合った、
子供たちの性格にあったやり方。
それは私自身が知っておかないと、
一方的なコミュニケーションしか
できないってわかりました。
そういう事を一つひとつ丁寧に
私自身も育ててもらったというのが、
親力プログラムです。
今日は、
笑顔がテーマになってますが、
私がずっと空しかったのは、
お母さんが笑顔じゃなかったから
なんですよ。
靴が履けるようになるとか、
ご飯のお箸が持てるようになるとか。
関わる目的がずっと躾けだったので、
自分が悪い子だった思って、
自分を感じきれなくなって
しまっていたんですね。
人として大事なことが
今回の講演会の内容にもなっています。
金城先生ですから、
とにかく面白いです(笑)
リラックスして、
楽しんでいきながら、
涙が出る時は泣いて、
聴いてもらいたいと思います。
小堀美奈子
(金城幸政先生秘書、
親力プログラム講師)