「親力プログラム」の目的は
「どこにいても 誰といても
どんな状況でも大丈夫!」
その人間性の生きる力を育てることだ
でも この「大丈夫!」を
勘違い してる人 多いんじゃないかな〜?
沙織BLOG「勘違い」でもこの「大丈夫!」の意味が 書かれているから読んでほしい☝️
そう言う私も 親力プログラムを学び始めた時は 「何かを身につけたら大丈夫!」って事 だと思っていた
「こうすれば上手くいく」
「こうやれば 大丈夫」
ってやり方や方法で聞いてたんだけど
やれば やるほど 空回り…💦
今思えば 根本が違うから
何をやっても 大丈夫じゃない…って分かるんだけどね💦(笑)
上部だけを 取り繕っても 意味がないし
結局 は 「自分」の問題
やり方や方法ではなく
人としての「在り方」を
先生は教えている
子供をどうこうする問題ではなくて
「自分 が 変われば 全てが変わる」
ってくらいシンプルだ
だから 「親力プログラム」って
「親」に「力」を付ける プログラムなんだよ!
「力」って言っても
対人関係などの関係性で
相手に向けられる 対応力みたいな
自分から外側へ向けられるものではなくて
自分はいつも自分らしくある 力のこと!
だから 自分らしくある力を
親も基本にして欲しいってこと
これ そうなれば分かることなんだけど
自分を知り
自分を育て
自分と向き合い
自分を生きてると
自分のことは 大丈夫って
本当に思えるから 不思議なんだよね〜
そして もっと凄いのは
自分の中に 「大丈夫」ってのがあると
相手や子供でも他人でも
その人の中に大丈夫がないと
何をやっても 大丈夫じゃないだろうな
って察しが付く
だから あの手この手で大丈夫?に…
安心に向かって必死になってるようにさえ
見えて来る
だから 親力の 力の意味も
大丈夫の意味も
軽さが全く違う!
先生はセミナーでも
ミーティングでも
とにかく「自分かぁ〜」と気がつくために
全ての話がされてる
だからこそ この2年間
「唯一の責任!」というタイトルを
ずっと掲げている
そんな中 ある日のミーティングで
親力プログラム の話題になった時だ
先生が私に言った
・・・・・
先生:
「 由貴子…
やる気を失わないでよ…?
美心 や 幸哉 くらいの赤ちゃんの時から
抱っこからオムツ お風呂…
スキンシップもとことんやって
何でも一緒にやって 事細く 教えて
何十年も ず〜っと関わってきてだよ?
僕の実力してでも これだよ?(笑)」
(匡哉 を指差す)
・・・・・
先生がそう言った瞬間
周りにいた皆んなが
ズッコケ 大爆笑〜😂(笑)
知っての通り 先生の長男匡哉は
幼い頃から 一時もジッとしていない子だ
私から見たら 謎の生物…(笑)
例えば 小さい頃の匡哉と先生との会話
先生:「匡哉!これ 触るなよ!」
匡哉:「うん! 分かった!お父さん!」
ペタッ🖐️ (触る)
先生:「おい⁉︎ 触るな!って
言っただろう!」
匡哉:「あっ…!そうだ!
ごめんなさい!」
ペタッ🖐️(触る)
先生:「…ダメだ こりゃ…」
と 言うように …(笑)
好奇心 と言うか 注意散漫と言うか…
とにかく小さい頃から
先生の言うことを
一度も聞いたことは無い匡哉だ
それは大人になっても変わらない
流石の先生でさえ 匡哉の行動は
理解できなかったらしい…(笑)
そんな 匡哉を見てるから
「僕の実力しててでも これだよ?」という
先生の言葉が かなり衝撃で
自分の中が 一気に吹っ飛んだ
もちろん 親として
やるべき事はある
でも どんなにアレコレやったとしても
最終的には その人の問題なんだな〜って(笑)
本人が そう思わない限り無理だってこと!
親力プログラムには
色んなテーマや色んなタイトルが
あるけれど…結局 その人じゃん
って妙に納得した 先生からの一言(笑)
それまで プログラムの中身云々と思っていた 私だったけど…
「なんか…大丈夫だな〜」って
急に自分に楽になった
親力プログラムのテーマにも
親や 環境の問題になったとは
しても 結局は その人の生まれ持ったもの
先生とて 匡哉の問題だってことで
ここでは笑い話しで終わっているけど
「結局 自分なんだなぁ〜」って
自分がいつ自己責任を持つと決めるか!
それだけだ
でも 「自己責任」だからと 言って
親に責任が無いって意味じゃ無い
「子育ての第一義務者」と言うように
抑えておくべき 当たり前のことを
やっての話だ
でも その責任って言葉さえ
変に大袈裟だったり
気負ったりしていたな〜(笑)
自分の場合
自分が自分のこと自覚するだけ… だった
自覚すれば するほど
「大丈夫!」も
「責任」も 意味がとてもユニークに違う
これを読んでる みんなも
自覚= ユニーク?
って出来たら 楽笑に 分かって来ると
思うよ〜😁
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