親力プログラムのテーマに
「おいち・おに・おさん」ってテーマがある
おいち は
この世に生を授かること
おに は
4歳前後に出て来る 第一反抗期
今 世間では
イヤイヤ期なんて表現もするけど
つまりは 自我の誕生
言い換えると
おに=鬼 という意味も含まれてる
そして
おさん は
3度目の誕生✨
自我を越えて 成長し
鬼が伝わり合うようなって
魂というものになるって
まるで 別人のように 生まれ直す
大人っていうか
愛の世界
それが おさん
人は成長、変化の中で
3度生まれるという 意味で
このおいち・おに・おさんという
ステップがあるんだけど
最近 このテーマの深さを
改めて実感した出来事があった
今 人間学や
親力プログラムのこれからの展開など
毎日 密で濃いミーティングを
しているんだけど そのミーティングの最中
先生がスタッフのYさんに ポツッと言った
先生:
自分の命
そんなに大事じゃないでしょ?
Yさんは一瞬 言葉に詰まった
先生:
子供たちも もう成人して
それぞれの道を歩んでいるし
どっちかっていうと
息子たちは
もう お母さん構わないで って
感じでしょ?(笑)
だから生きている意味ないし
自分も もう 死んでもいいんじゃない?
そんなに
自分の命 大事じゃないのに
僕が言う
「自愛」は 意味があるの?
先生がこう言うのも
Yさんに気がつかせるため
Yさんだけの話じゃなくて
先生のこの言葉が
私にとっても衝撃だった
なぜなら
先生が 何十年も前から
いや ずっと言い続けているのが
「自愛」✨
先生の5冊の著書 全ても
「自愛」に辿り着く
沙織もまた「自愛」しかない!って
叫んでいる
でも先生や沙織が言う「自愛」の前に…
なんで こんなに「自愛」っていうのか?って
ところからだと私は思う
だから 先生が Yさんに言った
「自分の命
そんなに 大事 じゃないでしょ?」って
言った言葉が 衝撃だったし
プログラムで言ってる
「おいち・おに・おさん」
おいち = この世に生を授かること
ここに戻された
自分が生まれたことに
感謝しているか
生まれてきてくれて
ありがとうって思っているか
自分の命に感謝がない人が
一体 何に感謝をもって
何かを愛せるんだろうって痛感した
だから「自愛」って
言った時に
どんなに自愛を持ちます!
自分らしく生きたい!と
言ったとしても
自分自身の命の誕生に感謝してなかったら
「おいち」のままなんだと痛感した…
要するに 生まれてない状態のままってこと…
何も感じない 何も思わない
先生が言っている
「不感症」って
その状態なんだって気がついた😱
ちなみに…
私は先生に出逢うまで
不感症の極みだった(笑)
育った環境は
両親は仲が悪く
兄妹同士でもいがみ合う毎日
兄には殴られることも
しょっちゅう
無気力 無関心 無感情 で
あの頃は「死なないように生きてきた」と
言っても 過言ではないくらい 生きてなかった
最初会った時は
目が泳いでいて挙動不審…
まるでロボット🤖のようだって
先生言っていたな〜(笑)
そんな私が
初めて「生きたい!」と思ったのは
娘を出産した時だった
初めて
自分に生きる目的
生きる意味 が できた
由貴子BLOG 「魂の誕生日!偉大な事業!」に書いているけど
自分はこの子がいるから 生きている
それくらい
私の命が何倍にも拡がり
この子の命によって生かされていると
感じている
子育て でどうしようもなくなり
どうにかしたい!
なんとかしたい! って思った時
先生に出逢い
親力プログラムを学び始めた
そして 先生の元で
ゼロから学ぼうと
助産師を辞め
プログラム講師として 今ここにいる
最初は
子供がとか
子供さえって
思っていたところもあったけど
先生に
「お母さん まずは あなたから」って
言われた時に ハッとした
子供に向いていた 矢印が
「私」に向いた
その時の気づきは
細かく書いているけど 先生と出逢った時に
たった一つの「スキンシップ」から
私は 初めて「私」を感じた
私に 無いものを
子供には 手渡せない
そう言う意味でも
私が私自身のことから
始めるしかない
自分が 自分を大切にしてなくて
どんなに子供に
自分を大切にしなさい って言っても
それは 言葉だけの
机上の空論で 意味がないし
何も伝わらない
まずは 私からなんだ とわかった
だから 先生のセミナーに通い続け
自分の事から実践した
先生は 常に愛しかなくて
とにかくいつも100%
目の前の人の幸せしか観ていない
その人がその人らしく
生きてほしいと願っている
常に その人の 気づきと成長だけを観て関わっている
だから「自愛しかないよ」って
いつも言ってくれる
先生の5冊の著書の中で
全てに共通することが
「自愛」✨
「自愛」って言った時に
皆んな すごく大袈裟なことだと思っているけど とっても足元のことなんだと 私は思う
その足元が
自分の 命に
自分自身が感謝しているか
そこからだと 思う
先生の言葉に
「自分の生命は
あなたのものですか?
あなたの身体は
あなたのものですか?
あなたのもので あるならば
あなたが 心臓を 動かしていますか?
あなたの 呼吸は?
あなたの まばたきは?
あなたの 空腹、満腹、消化吸収は?
あなたが しているのですか?
生命は 生かされています
人間のマインド(思考)で
コントロールできるもの ではないのです
あなたが 生命を
信頼するか しないか に関係なく
生命は 「信」の中にあるものです
それを理解するのなら
生かされている 生命に
「感謝」しかないはずです
それが 生命に対する 根本的であり
基本的な 礼儀なのです」
って言うのがあるんだけど
先生の講演会や セミナーで
何度も 何度も 聴いてきた お話し
だけど 肌で感じれば感じるほど
本当にそうだな〜って
つくづく 思う
コロナ禍になって 約3年…
マスクやワクチンをきっかけに
これまで 無意識だった
自分の 当たり前の「基準」が
問われている
その 無意識の問いかけのひとつが
「自分の命は 大事?」
だと 私自身 感じている
命が 大事だと
マスクや 徹底した消毒
ワクチン接種を するけれど
じゃあ そんなに 大事と言いながら
普段から 健康に気をつけて
食事や運動に
気をつけているのか
身体にとって 必要な栄養素
身体にとって 害あるもの
免疫力を上げる 生活習慣
それを 常に調べ 意識した生活をしているか
本当に命が 大事なら
テレビや 周りの意見を鵜呑みにするんじゃなくて コロナや マスクやワクチンに対しても 正しい情報 正しい選択 しているはず
こんなに コロナが怖いと言いながら
命が 大事と言いながら
満員電車に乗って
仕事には行き
子供を学校に行かせる
私自身が 何年も 先生に言われていた
「何で子供を学校に行かせているの?」の問いかけも 聞こえているようで 聴こえていなかった
そして 初めて聴こえた時に
何年も前から 先生は 「警告」を出していたんだと気がついた
子供が通う 学校の給食は 刑務所以下で
しゃべらずに時間内で
食べる「黙食」が当たり前。
マスクによる 身体の不調を訴える 子供達も多いのに
今や 「着けていないと落ち着かない」というくらいの
レベルで 一日中過ごしている
口では 命が 大事と言いながら
何か あれば 学校任せ
何か あれば 病院任せ
何かあれば 国任せ
それで 本当に
命が大事と胸を張って言えるのか
自分の命が 大事じゃない人が
子供の命を守れるはずがない
このままでは 愛する者の命さえ守れない
もう・・・後がない‼︎
それに 気がついて 私が 行動を変えた
「自分の命 本当に大事?」
先生の問いかけに
私は 改めて ずっと先生が言っている
「自愛しかない」の意味の 深さと重みを感じた
自愛 からしか 始まらない
そして 自愛の始まりは
生かされている 命への 感謝✨
私は今
そんな 人としての 当たり前から
生きたいと 思っている
だからこそ
私からのメッセージが
一人でも多くの人に伝わり
愛ある 未来に繋がるといいなぁと願う