👵🏼 台所から愛を

👵🏼 台所から愛を

残暑とはいえ、まだ暑いね〜

こんな暑い日が続いていると店頭に並ぶ野菜の元気もイマイチ。

そりゃー昔に比べると、冷蔵庫があるから保存にしても鮮度維持も幾分か助かっているけど、本当の意味で野菜にとって良いことなのかな〜って えーりは考えてしまう。

 

今回は これを読んでる皆んなと一緒に考えてみたいと思う。

例えば、常夏で生まれ育った人が、いきなり寒い北国で暮らすとしたらどう?

動くことができなくて、身体は正常でいられなくなるとは思わない?

きっと暖房機の前から離れられないんじゃないかな?

そして、徐々に活力が失われていくって感じにならないかな?

その状態が冷蔵庫の中にある野菜に起きてる気がしてならないんだよ。

えーりの子供時代の近所の商店では冷蔵庫がなかったから、その日一日で売る分しか仕入れないし、店主は豆腐などの足の速い(腐れやすい)食材は朝夕の2回に分けて仕入れるなどの努力をしていた。

買い手もその日一日で食べる分を買うのが当たり前で、廃棄にならないようにと足の速い食材から買って商店に負担にならないようにしてた。一袋の食材を居合わせた者同士で分け合って無駄なく使い切ることも日常的なことだった。商店の負担の軽減に協力していたのだ。人情連携プレーって感じで、当時はそれが当たり前だった。

今では冷蔵庫の普及のお陰で買い溜めができて、主婦が買い物に要する時間短縮と気持ちにゆとりができたことは言うまでもない。

確かにその恩恵は大きいが、その一方で 失ったものもあるとえーりは思う。

それは 商店で互いが買った食材を分け合い、その日のうちに使い切って食材を廃棄させないということが当たり前だった。自分たちに代わって汗水流して作ってくれる生産者と食材への感謝も普通にあった。それが薄れているのを感じると寂しくなる。

現代のように売ることだけに躍起になってるスーパーの特売は、本当の意味で台所の助っ人になっているのかな〜とえーりは考えてしまう。

奥にしまい込んだ野菜がしなしなになって廃棄。同じ野菜を買い足してしまったと前のものは廃棄。安かったからとか、冷蔵庫が空だと心細くて満杯にしたがる。

それでは豊かさの意味が違うとえーりは感じている。

消費者の私たちが、必要な分だけ、しっかり消費したとしたら生産者は大量に作る必要もないし、大量生産によって値段を叩かれることもなくなるのでは?

強いては生産者の労働軽減にもつながると思う。

便利に浸りすぎてそんな当たり前の感謝が薄れてきているように感じる。

生産者のお陰で涼しく食べれていることを私たち消費者は知っておくべきだとえーりは思う。

話は変わるけど、ちょうど今頃の時期だったと思う。

幼い頃、父が大量のオクラを持ち帰ったことがあった。

オクラ農家がタダでくれたものだった。その時までえーりは茹でたオクラに醤油をさす食べ方しか知らなかったし、オクラはさほど好きではなかった。食べたとしてもせいぜい1、2本だから大量のオクラを見ても 嬉しくもなんともなかった。

母は晩ご飯に一品増やせると言ってかなり喜んでいた。

その日、食卓の真ん中にはオクラが出されていたが、それはいつもとは違う炒められたオクラだった。えーりは初めて炒められたオクラを見た。オクラは魚肉ソーセージと炒められていて、醤油の焦げた香ばしい香りがした。えーりは醤油の焦げた香りが好きで、その香りだけでも食欲が湧いた。

えーりは初めて食べるオクラ炒めが美味しくて「これからは茹でたオクラじゃなくて、炒めたオクラがいい」と母に言った。

すると母は「今日はお父さんがたくさんもらってきてくれたお陰で炒められたんだよ」と話してくれた。その母の一言で今日のオクラは特別なんだとわかった。

そのオクラは、父が親しくなった農家さんが明日には大きくなりすぎてスジばって美味しくないから今日で食べてくれるならと摘んで父にくれたもので特別だったのだ。

大量にくれた農家さんのお陰でオクラ炒めが食べれて、それがキッカケでオクラが大好きになり、今ではピクルスにしたり、サラダや天ぷらなどにも楽しんでいる。

ちなみにオクラは成長が早く、摘むタイミングを間違えると筋ばって固くなって美味しく食べれません。そのオクラ農家さんのように美味しさを損ねる前に食べなくてはならないのだ。

汗水たらし、手塩にかけて育ててもすべてが報われるわけではない。

それが農業なんです!

一番の労働者が報われて、思いやりが流通する商店が成立することが“愛でメシを食う”ってことだとえーりは思う。

えーりが大好きで一人で一袋食べてしまうオクラベーコン炒めを皆んなにも好きになって欲しいという想いからオクラベーコン炒めを紹介します。

そして、それを食べたことのない人にも教えて欲しいと思っている。

 

最後に、

これからは口にする物すべて命を捧げて目の前に在ることをわかって食べて欲しい

それは野菜とて同じ。

声を出せないものにも命はあることも知ってて欲しいものだ。

そして、作り手への感謝と共に頂くのは人として当たり前

好きが高じてオクラを栽培して泣いた経験があるえーりにとって、農業は気を抜くことができない子育てと同じと感じている。

農業は農家だけで考えるものではなく、消費者も一緒になって考えるものだとえーりは思う。

親が子供が出る社会が温かくあって欲しいと願うように、農家さんもそう願っていることは安易に想像つくのでは?

本当の豊かさとはそういう思いやりという土台の上にある積み重なるものではないかとえーりは思う。

命を支える第一産業の農業を支えるのは私たち消費者だ!

その自覚で台所に立つのが、命を育む母親で、女性の私たちだとえーりは思う。

台所から愛の発信を

 

*8月の楽屋インタビューで「食育」につながるところを話してるところもあるので、ぜひ、もう一度見てね。
閲覧はコチラ

見てない方は、楽屋インタビューのDVDを購入してね〜。
 
 
 

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