今月のイチ押し! 慰霊の日に思うこと

今月のイチ押し! 慰霊の日に思うこと

今月のイチ押し!は、
えーりの「慰霊の日に思うこと」

この記事を読んだ時、私も幼い頃におばあから話を聞いていたから、当時のことを思い出してめちゃ切なかった。

中学生の時には、作文でこの事を書いて、学校の代表候補にもなったくらいだったんだけど、今、逆に親になってさらにおばあの気持ちが手に取るように感じる。

こんなにも愛して育てた人がいない・・・。辛いよね。(@_@)

だけどさ?みんな気づいてる?

コロナ、ワクチンが始まって、今、まさにこれと同じことが起きてる。SNSでも出てるけど、ミサイルや拳銃とかそんなものじゃなくて、ワクチンという名目で、戦争が起こってるんだよね。

この記事では、女性がどのような品格で生きるのか?といった時、社会は女性が創ってると言っても過言じゃないと思うって書いてるけど、そういった時、今回のテーマの「思いor想い 何で?」は、女性が、お母さんが何を思うかでこれからの未来も作られていくと思うから、自分一人で何が出来るの?とやさぐれて生きるのではなく、ビジョンを持って、肚を据えていくといいと思う。

「想い」はエネルギー、科学だから、一人一人が想う「念い」を持つことで、未来は絶対、良いものになりうると思うよ。

そういう意味で、
「総理大臣が許してもオバーは許さん!」

というくらい、女性の尊厳をもってもう一度、読んで観てね。
by 幸美

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『慰霊の日』

6月23日は先の大東亜戦争での旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日で、沖縄では“慰霊の日“と定め、県庁や各市役所、町村の役場、公立学校が休みとなり平和への祈りを捧げる1日になっている。

えーりの子供時代はテレビやラジオで戦争についての特別番組が設けられ、正午きっかりに黙祷を捧げ、その日一日、誰もが平和について考えた。

慰霊の日の特番が進む中、総理大臣の挨拶にオバーはエプロンの端と端を掴んで今にもちぎれるんじゃないかと思うほど強く引っ張って見ていた。

その顔は孫のえーりさえ近寄りがたいほどの形相でその顔は怖かった。

 

その時、オバーはこう言った

「総理大臣が許してもオバーは許さん!」と。

今にもテレビの中の総理大臣を叩き潰しそうな勢いだった。

それぐらいオバーは怒っていた。

それもそうだ、オバーは戦争で長男と次男を奪われているからだ。

長男は南洋でアメリカ軍と対峙。互いに武器を手にしていたが、長男は武器を下ろし、銃弾を浴びて死んだ。

敵とはいえども長男は米兵を殺さなかった。長男はそういう人だったのだ。

オジーとオバーは戦後何十年も長男の死に様を知る術がなく、生きていてくれという想いで長い間探し続けて苦しんでいた。

一方で次男はどうにか終戦を迎えたが、帰還する船の中で脱水で命を落とした。オジーとオバーは次男からの“帰る船に乗る“の電報を受けてからは毎日小高い丘に立って今か今かと次男の帰りを待ち続けていた。

 

しかし 次男は白い布に包まれた小さな箱に入れられてオジー、オバーの元に帰って来た。

オバーはその場で気を失いそれからは何日も伏せたままだったと。

地上戦があった沖縄では4人に1人が命を落としたと言われている。

それはまるで地獄のようだったと生き残れた人たちは口々に話した。 中には何年も話すことすらできないでいた。父もその一人で父からは直接戦争時の話を聞いたことは一度もなかった。

父の両親は空襲から逃げ惑う中、目の前を走る子供を守ろうと身を挺してその子に覆い被さり命を落としたと一緒に逃げていた隣人から戦後だいぶ経ってから聞くことができた。

そんな辛い戦争の話を父はできないでいたのだ。

当時父は4歳になるかならないかの幼子でありながら両親を一度に亡くし、兄弟ともチリチリバラバラになり物乞いのように生き延びてきたのだから筆舌に尽くし難い経験をしていると母から聞かされた。

祖父母が助けたその子供はどこの誰かも知らない子。 ただ、そこにいたから父の両親は庇っただけのことだったのだ。

その子を庇わなければ祖父母は助かっていたかもしれない。

でも、助けていた。祖父母もまたそんな人だったのだ。

 

それから戦後何十年も立った頃、その時の子供が成人して父を探し訪ねて来た。

その人は女性で、嗚咽しながら地面に額をこすりつけて父に詫びたのを見た。

当然のことに父も周りにいた誰もが言葉を発すことができないで見守っていた。その女性は命の恩人の家族を見つけてお詫びすることだけを思い続けてその日に至ったらしかった。

何十年という歳月を要したがやっと辿り着くことができたと話していた。

そりゃーそうだ。爆撃で地形さえもが変形し、全てが焼き尽くされ、個人を知る情報が一切無い中で何が出来ようか⁉️ そんなことは子供のえーりにさえも理解できた。

そしてこうも言っていた

「二人の命を犠牲にしておきながら自分が生きていて申し訳ない」と。

その頃えーりは小学の低学年だったが、「生きてて申し訳ない」の言葉があまりにも衝撃的で呆然と立ち尽くしてしまった。

父はその時「助かってよかったさ〜」とだけ言った。

その女性はその時やっと背負っていた重荷を下ろすことができたのではないかと思う。

父もまた、戦禍にありながらも人を助けた両親のことを誇らしく思ったと思う。

なぜなら、晩年になって一度だけ「あの戦争で私の親は前を走っている子供を助けた。そのお陰でその人は今では家族をもつことができているんだから」と、まるで自分の手柄のように言ったことがあったからだ。

“コイツ、まるで自分が助けたみたいだ“と思ったが、あまりにも嬉しそうに言った父を見て、やっと父の終戦を感じた。

オジーの長男といい、父の両親といい、人としての在り方を見せてくれてて、これが先月の愛メシセミナーのタイトルにもなった『品格』に繋がるなーと“慰霊の日“を通して感じたことだった。

 

そして、オバーが言う「総理大臣が許してもオバーが許さん!」も型破りなことかもしれないが、それもまたえーりには在り方を表し、品格に通ずるものを感じる。

総理大臣が許してもおばーは許さん! といった時、

人としての「品格」
女性としての「品格」
母親としての「品格」

今、まさに「品格」が問われている時だと思う。

親力でいう「自立の3ステップ」「嫁ぐ3ステップ」前回の愛メシで言っていた「核心」の3ステップ。
何を覚悟、肚を括る人なのか?

自分自身がどう在るべき存在なのか⁉️ 今一度、問い直してみてほしい。

 

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