食育ブログをご覧の皆さん こんにちは〜🎶
今回のレシピは“エンサイのベーコン炒め”です。
これはふと食べたくなる炒め物で、何種類ものオカズを並べて食べたいえーりがその一種類で満足するオカズなんです。
何ならご飯さえいらないぐらいのオカズ で、中華屋さんに行った時にゃー一皿独り占めで食べたいぐらい好き。
それがエンサイのベーコン炒め‼️
今回はそんな絶品オカズを紹介するから、皆んなも好きになってな💪
えーりの子供時代は今ほど食材が豊かではなかった為、ご飯と味噌汁だけが普通で、他にオカズがあると万々歳で喜んだものだ。
貧困時代や戦争経験者のオジー、オバーにとって食べ物の破棄はあってはならない事だったから食べ切るまで連続で同じものを食べるのは当たり前で、飽きるってことも特別考えもしなかった。
そんな毎日の中、オバーが初めてエンサイ(空芯菜)炒めを作ってくれた。
その頃の炒め物といえば人参シリシリーか、もやしチャンプルーが主だったからえーりは物珍しさに、素早く箸をつけた。
以前にアシスタントの智ちゃんにエンサイ炒めを作ってあげたことがあって、「あれってシンプルで美味しかったよね」と盛り上がって、今回取り上げることになった。
ここで紹介しているメニューって こうした他愛ないおしゃべりから思いついたものばかりなんだよ。
話していると、その時の情景や気持ち、食べた時の味までもが思い出されて懐かしかったり、有り難かったりでいろんな経験をしているんだよね〜
そんなことがあって、経験って色褪せないし、忘れられないものなんだって改めて思う。
でさ、このエンサイ炒め、大人になって自分で作るようになってからはベーコンの力を借りて美味しく食べてるけど、えーりの子供時代のオバーが作ってくれたのはそんな小洒落てなかった。
でも、とても美味しかった❣️
なんでだろ〜〜〜?
今思うと、美味しく仕上がる条件が全て整ってたんじゃないかな〜って思うんだよね。
例えば、
使いこなした鉄製のフライパン!
昔はコーティングされてる鍋なんてない時代だから、鉄のフライパンが上手に手入れされていた。丁寧に使っているうちに勝手にコーティングされていたって感じ。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、昔の人にはそんな鍋ひとつの使い方にも秩序が普通にあったんだね〜
大人になって、家庭を持った時 一番に思ったことは、オバーが使っていた鉄製のフライパン 貰いたかったな〜だった😂🤣
そんなことを振り返ると、何不自由なく生活できている現代人は知恵も忍耐も秩序さえも身につけられなくなってるように思う😱
ざんね〜ん
話を戻して、
豊かでない食材でなんで美味しかったかだよね。
今思うと、アンダガシーが使われていたからだと思うんだ。
※豚の皮を揚げもので沖縄では食糧不足だった時代に豚の脂身や皮を無駄なく食べ尽くしたことが始まりとされていて、オヤツ代わりに食べたり、ラードとして炒め物にも使われている。
加えて、あのフライパンが影の立役者になっている。
あのフライパンを熱々に焼き そこにアンダガシーを入れる。
アンダガシーから出た油が焦げる手前で香ばしく香り、そこへ、エンサイの茎が入って手早く炒められ、少し焦げ目がつき始めるとドサッと葉っぱが投げ込まれ更に手早く炒められる。
途中、指はかりで塩が入って出来上がり。
今思うことは、手入れを通して入ったティーアンダー付きのフライパンと沖縄の知恵があい合わさって美味しくなったのだとえーりは確信している。
余談なんだけど、あのフライパン、油を入れる前に火をつけて焼いた段階で鉄の匂いではなく、染み込んだ油が焼ける匂いがすでに美味しかったんだよ😭
言いたいことわかるかな〜
このことを通して思うことは、鍋ひとつにしても丁寧に大切に扱うことは昨日今日できることではなく、積み重ねた日々で出来上がるもの。1ヶ月続けても、その後、1日怠っただけでこれまでの1ヶ月が消えて錆だらけになってしまう。それが鉄鍋😂
今回、この”エンサイのベーコン炒め”を通して考えさせられたのは豊かさって何だろうってことでした。
豊かではない先人たちの暮らしの中にも心に残る美味しさや蘇る味と香りは、日常の秩序の積み重ねの賜物だということだった。
そう!
オバーが手入れし尽くした鉄鍋のお陰ではないかと思っている。
残念なことにオバーの鉄鍋は押し寄せる利便性の高いコーティング鍋に押されて徐々に出番がなくなり、いつの間にか台所から消えてなくなった。
あの時、美味しさが食材だけで出来上がるのではないことがわかっていたなら あの鉄鍋は今でも現役で頑張っていたかもしれない。
これを通して、丁寧に生きるキッカケになればと思います。
やっぱり”自愛”に戻されますね🤣