はいさ〜い、HAPPY BLOGファンと
神友のみんな〜元気かーーー⁉️
毎日暑い日が続いてるけど夏バテは大丈夫?
今回はご飯を作る上でえーりが一番に大切にしている”想いを込める”のきっかけになった出来事を伝えるね。
ここで言わんとすることが伝わったら、
きっとご飯作りの意味が変わると思う。
では、えーりの想いを受け取ってくれ〜〜〜
えーりはご飯を作る時、想いを大切にしている。
なぜなら、えーりにとってご飯はただお腹を満たすだけのものではなく、情緒を落ち着かせる大切なものだからだ。それに気づいたのは大人になってからで、その気づきには子供の頃のオジーとの関わりが大きく関係している。
今回はえーりが子供の頃の出来事にオジー が発した一言が大人になってしっかりと噛み合った経験を伝えたいと思う。
それはある祝膳を準備している時に起こった。
えーりが幼い頃というのは仕出し屋というものがなくて、祝いや法事での食事は全て自分たちで作っていた。
その日の祝膳も伯母と母がいつものように前日の買い出しから始まり、当日も朝から準備に取りかかっていた。
クーラーなんて無い時代で狭い台所での煮炊きはまるでサウナ状態。首にはタオルを巻き、バケツの水をかぶったのかと思うほどの額からは汗が滴り落ちていた。
伯母は始めっから膨れっ面だけだったのが次第に愚痴り出し、不満を露わになり、叔母の真っ赤になった顔は暑さのせいだけではないことが見てとれた 笑
それをずーっと見ていたオジーは
「なんの不満か知らんが、怒って台所には立つな💢 」と言って伯母を諌めた。
オジーの一言で、伯母は祝膳作りを離れ、外での洗い物にまわり、えーりはその伯母に変わって、母と台所に立って手伝うことになった。
立ち通しの台所も落ち着き、全てが整いやっとひと息ついた時だった。
オジーが座るようにと目で促したのでえーりはオジーの傍に座った。
オジー:なんで怒って台所に立つな!というかわかるか?
えーり:わからない
オジー:不機嫌になったり、怒って台所に立ったら毒を盛っていることになる。口にする物に毒を入れたらいかん💢
えーり:毒?
オジー:そうだ、毒だ!
えーり:???
理解できないでいるえーりにオジーは続けて言った
オジー:ご飯は作る人によって薬にもなれば毒にもなる。怒ったり、嫌々ながら作るご飯は毒! 喜んで気持ちよく作る人のご飯は薬になる!怒って作ったら何を盛ってしまうかは言わんでも分かるだろう💢
その時のオジーはかなり怒っていて、何となしでもオジーの言わんとすることがえーりには伝わった
沖縄には“ティーアンダー“ という言葉がある
※ティ=手 アンダー=脂
直訳すると 手脂のことなんだけど、愛情を込めて作ることを沖縄ではティーアンダーといい、その愛情入りのご飯を食べることで元気になると言われている。
気持ちの”氣”が入った食事なのだから元気にならないはずがない。逆に怒りの気も入るということでもある。
それをオジーは
『薬にもなれば、毒にもなる』と言ったのだった。
時々、台所で声を荒げる人を見かけることがある。
気持ちよく作ることを大事にしているえーりにとって、危険なことがない限り、食事を作る場で声を荒げて怒鳴ることはあってはならないと思っている。
女性、特に母親は薬にもなれば毒にもなるということを理解した上でご飯作りに向き合って欲しい。
作り手の想いは伝わるもの
想いを込めて作った食事は食べる人にとっては ただの食事ではない。
心に残る食事は生涯に渡って幸福感の種を根付かせ、心の安定を植え付けることでもあるとえーりは思う。
幼い頃にオジーに
『いいか分かっていなさいよ!
台所は女のもの。
女が守っていくものなんだよ!』
と言われたことがある。
その時は理解はできなかったことが、今なら分かる!
ご飯作りは母親にできる最大の愛情表現だ
愛情が込められたご飯は木でいうと根っこに栄養を注ぐことと同じ。
そんな食事を食べる子供の情緒が落ち着かないわけがない!
だから、母親なら家族に想いを寄せて作ることを喜びにして欲しい。
今一度、ご飯作りはただの物作りではなく、想いを込めて氣、愛を送るという意識でいて欲しい。
そして、あるったけの愛情を注ぎ、それを喜ぶ母ちゃんになって欲しい。
薬にするか
毒にするか
それはあなた次第‼️