生きる姿勢!

生きる姿勢!

 
「始まりの年」としてスタートした2022年!!!  やんちゃな愛メシと同じく、親力プログラムも次元の違う段階に進んでいきます。

3ヶ月の休止期間(予定)を経て、どんな展開になっていくのか?今から、すでにワクワクしますよね?
だけど、年末からの親力のミーティングや人間学の内容、インタビューを通して、ひしひしと感じるのは、目的、趣旨の明確化ができないってこと。
やっぱり、ここも親切が関係してる。「~と思いたい」で人と関わっている。

先生も、たびたび、「主旨と趣旨」の違いを説明してくれていたんだけど、先生曰く、誰もその違いを理解して明確に話せる人はいない・・。

自分自身が、今、話していることの目的、趣旨、主旨を自分で理解できているか?と言うことなんだけど、そもそも会話が成り立ってない・・・ということに気づいていないんだよね。話がすり変わっていることに気づいていないまま話してる。
事実に基づいて、話ができない。

そして、次に自分が何を話そうか?って考えながら、聞いているから相手の話はほぼ、聴こえてない。

親力プログラムの目的は、「環境創り」だけど、その環境といっても創るのは「人」。で、環境=「人」。

だけど、会話が成り立たない、すり替える、自分がなんで話してるかを理解もできていない、相手の言葉に条件反射してる状態で、環境を創るっていっても、親力、人間学の言葉で言えば、反動で「反動価値」で、作った、思い込み、希望もどきの延長上。

こんな混乱状態な自分自身だと気づいているかな?
自分で自分のことを理解していない。

だから「教育」が大事で、今、パート1〜3までの「親力プログラムの必要性」を見て、目を覚ます、ハッとすることが大事だと思ってる。

聴こえると1抜けた!なんだよ。

 

1月のやんちゃな愛メシセミナーと、インタビューを見直しているとき、ふと思ったこと。『学ぶ姿勢』がそもそも違うんだな。

これは、楽屋インタビューにも頻繁に出てくる言葉なんだけど、「姿勢」なんだよ。私で言えば、「病院に置いて行かれた」「3番目も女か?」これ、また~?ほんとしつこいってみんな思うよね? 往生際が悪いなーとか。
これ、私の(幸美)の話って聞いたらアウト! みんな自分を知ってるつもりで聞いてるんだよね。

でも、インタビューで姿勢の話を何度も聞いているうちに、聴こえた。

体験を塗り替える って、言ってるって。

「3番目も女か」は『事実』
「病院に置いて行かれた」は『私が弟を思いやった』

これが体験として、塗り替わっていない。

先生がやんちゃな愛メシセミナーで話してくれているけど、「聴く」になっていないから、素通りしている。
それに何を観るか

それが私。それに何を観るか?が私。

弟を思いやった  ではなく、置いて行かれた可哀そうな私。
3歳の私を、置いていった母親。
その母親をいくら何でもと握りしめ、被害者のままの私

『親切』はココを見直す、塗り替えるから凄い、奥深い!根元まで変える。
『愛』の経験に変えるんだよ。

学ぶ姿勢、『姿勢』が違うから、聴こえない。
「姿勢」が違うから、変わらない。

思えるものは思える、思えないものは思えない。
自分が、私が 思うだけで 変わる。
凄い!! 思うだけで変わる!!

だから、沙織の
「あーそうなんだー!!」 魔法の言葉!!
今回、沙織の新聞記事には、「謙虚」って言葉で伝えてる。
一番、謙虚さからほど多い、自分が100%正しいと思ってた私が言うんだから、間違いない!!

親力プログラムは、それを丁寧に教えてる。
人間学は、「聴こえたら」一抜けた、
3秒の道と30年の道 って表現してる。

 

でも、「姿勢」

学ぶ姿勢。

愛だから、愛されているから、叱られる。
それが愛だと、思えないから被害者で聞く。

起きる出来事はすべて「愛」。
愛で生きるため、すべて愛だと気付くため。

自分へ愛を向ける、私が私を愛する。
自分を愛するように、周りを愛すること。

愛で生きる こと。

それが「生きる姿勢」
まずは、日々の生活を大事に丁寧にやってみること。
やんちゃな神さまの「ペーパーの角を折る」話はそこ。

その姿勢があってこそ、環境=人 に繋がり、成り立つ。

今年は『始まりの年』♫

自分自分が何を想い、何を大切に生きるのか?
コロナ過が続いてる、今が、見直すチャンス!!!
これまでの新聞記事も何度も読み返してくださいね。
そして、友人、知人、大切な人にぜひ薦めてくださいね!!

 

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