えーりは幼い頃から食べ親しんだサンガチクヮーシー(三月菓子)が いまだに大好きで、店頭で見つけては買って食べている。
でも、なかなか「コレだ!」って思えるのに出会えてない😂
子供の頃に食べたあのサンガチクヮーシーの味には出会えないのだ。
買うサンガチクヮーシーがまずいのではない。それどころか美味しい。
なのにどこか違う。
なんて言えばいいのかな〜
例えば「どんなに美味しい惣菜を食べても、家で作るご飯には勝てない」そんな感じ。
どう説明していいかわからないけど、明らかに違う気がしてならない。
レストランの食事は味はもちろん、食材も考えられてて、見た目からも、美味しいものがほとんどだ。
だけど、なぜか違う、、、。
見て良し!食べて良し!のはずなのに。
その証拠がおうちご飯は毎日食べれても、外食はせいぜいもって3日。
なぜか飽きてしまう。
それと似ていて、このサンガチクヮーシーもハマることがない。
たまに食べるぐらいなら買うのも良いかもしれないと自分に言い聞かせてみるも、どうしても子供の頃に食べたあの味が今だに忘れられないのだ。
なんでえーりはこんなにも子供の頃食べていた母ちゃんや伯母さんたちが作ってくれたサンガチクヮーシーに拘っているのかな〜と考えていた。
すると気づいたことがある。
美味しいの確かだが、ただ美味しいだけではないってことだ。
年に一度のサンガチクヮーシーは女の節句に出されるお菓子で、その日ばかりは針すら持ってはいけないとオジーに教えてもらった。女性が1日ゆっくり過ごしていい日なんだって。
女性だけで浜におりて海水で浄化して健康を願う特別な日で重箱とサンガチクヮーシーで祈願するのだそうだ。
それが浜ういの慣習と。
それだ❣️と思った。
ただ美味しいから好き!だけではない。
サンガチクヮーシーを作ってくれていたオジー、母ちゃん、伯母さんたちの健康祈願への想いがあってのサンガチクヮーシーなのだ。
「健康でありますように」のてぃーあんだー(手の脂を染み込ますぐらい愛情を込める)たっぷりのサンガチクヮーシーをえーりは食べていたのだ。
だから格別なんだ❗️
そう気づいたら想いを込めてサンガチクヮーシーを作りたいと思った。
てぃーあんだーたっぷりのサンガチクヮーシーを食べさせたいなぁ〜と思った。
この味だ❣️って思えるそんなサンガチクヮーシーを作りたいと思っている。
まさに60の手習い❣️🤣
忘れられないサンガチクヮーシー、えーりのサンガチクヮーシーを作ろう💓と思うわけよ。
練習し過ぎて試食を食べ過ぎて嫌いにならなきゃいいけどね🤣
心に残る食べ物って凄いことだと思う。遠い記憶が今食べているかのように蘇るのだから凄い⁉️