ちゃーありがとうどぉ
えーりは幼い頃から家事手伝いをしていた。 兄弟の一番上ってことで、何かあると一番にえーりが呼ばれてやらされていた。
妹弟が小さい頃まではなんとも思わなかったけど、手伝える年齢になってくると、手伝いも分担してくれるものとえーりは勝手に思っていた。
しかし 母はいつでもえーりだけに声をかけて、えーりだけに手伝わせた。
それが不満で「なんでえーりだけが手伝わなければいけないの? もうみんな手伝えるような歳になってるし💢 えーりはあの歳には手伝っていたよ💢」と怒鳴るように訴えた。
すると母は「オネェちゃんだからさ」と、取り合うどころか毎回ひと蹴りで終わった。
何度訴えても、返ってくる言葉はまったく変わらず、その度にえーりはため息をついていた。
毎日の手伝いにうんざりしていたえーりは不機嫌な顔で掃き掃除をしていた。
それを見ていたオジーが「怒ってやるべきじゃない」と言ってきた。
「これが怒らずにいられるか💢」 そんな思いが態度に出てハッとすることもあったが、それでも、不満は消えなかった。
それからしばらく経ったある日、いつものように食器洗いを言いつけられた。
名前を呼ばれた瞬間に手伝いを言いつけられることは分かっていた。
えーりが呼ばれる時は 決まって手伝いの時と決まっていたからだ。
「もうーイヤだーーーこんなの不公平だーーー」とマジ思った。
そんな気持ちで食器を扱うのだから当然手荒くなる。
何個めだっただろうか、コップを手にし、中を洗おうと指を入れた瞬間、激痛が走った。右手薬指を見ると、薬指がくの字にパックリと切れていた。慌てて洗剤を洗い流してタオルで押さえて止血するのだけどなかなか止まらない。痛さと流れ出る血に驚き、しばらく座り込んでいた。
その一部始終を見ていたオジーが
「だから怒ってやるべきじゃない!といつも言ってきただろう⁉️ いつでも、どんな時でもありがとうの気持ちで機嫌よくいなさいと言っただろう」と厳しい口調で言った。
その言葉に、毎日不満タラタラで感情任せに物に当たってきたことが思い出された。
一人手伝わされるえーりは八つ当たりぐらいしてもいいだろうと心のどこかで思っている自分に気づきハッとした。
傷の痛さよりもオジーにも見透かされたことに恥ずかしさが増した。
すかさずオジーが
「あなたの怒りと食器は関係ない! 日頃、あなたの役にたっているのが食器。その食器に感謝はあってもあたる筋合いは全くない!そのうちに人との関係でも同じことをするよ。今わからないと、あなたは八つ当たりするような人間になる。だから絶対やめなさい!それと、あなたが今、手伝いをすることはあなたにとって良いことで あなたのためになる!どう良いのかが、今わからなくとも有り難く黙ってやっていなさい! 」と言った。
手伝いがどう良いことに繋がるのかは想像もできなかったが、怪我をするからには何かが間違っている気がしたし、言い切るオジーを見てると”そうなんだ”と妙に納得した。
それからのえーりは不思議と手伝いへの抵抗が消えていた。回を重ねるごとに手際よく出来るようになって苦でなくなっていた。その頃には物に当たっていた頃の自分を笑えるまでになっていた。
時間はかかったが、手伝いを続けて良かったと思える日が来た。
それは 結婚し家庭と仕事の両立が容易く思えたことだ。
家庭と仕事の両立は難しいと先輩方から聞かされていたが、えーりにとって両立はまったく問題はなかった。それどころか余裕でこなしていた。
先輩の話を聞いて はじめは何が問題なのか気づけなかったが、家事に小慣れていないことで時間がかかりすぎて毎日がクタクタに疲れたそうだ。 家事を手伝う手伝わないという問題で夫婦喧嘩にまで発展することを聞いて、早くから家事手伝いで小慣れたことが功を成していると気づいた。
毎日の手伝いがこんなことに繋がっているのかと思うと、日々の積み重ねの大切さを痛感すると同時に諭してくれたオジーに感謝した。
オジーの”わからなくても有り難く黙ってやりなさい”は日々の営みは生きていれば当たり前のことで、生きていることに感謝することで、感謝の想いの中で機嫌よくありなさいと教えてくれていたとその時わかった。
生きている間 営みは当たり前に毎日続くもの。
その当たり前に不平不満を持っていれば、それはますます苦しくなる。それは自分がそうしている。そんな自分から足を洗って機嫌よく笑顔で生きることが人生何倍もハッピーだ。
”笑う門には福来る”の言葉通り笑顔でいること、機嫌よく在ることは幸せを引き寄せる。それが 人としての生きるマナーなんだと思う。
オジーは『ちゃーありがとうどぉ』が口癖だった。
どんな事も最後には感謝になるとも言っていた。
えーりも右手の怪我で大切なことに気づかされ感謝している。
不幸、不運があるのではなく、それを通して何に気づくかが大切で気づかず不満のままでいることこそが本当の不幸なんだと思う。
たった一言の『ちゃーありがとう』だけど、とても深い一言。
えーりもオジーのように自然に「ちゃーありがとう」が出てしまう生き方でいこうと思う。
感謝はするものではなく、してしまう状態のことなのかな〜って思う今日この頃です。
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