金城幸政の語る 「東京セミナーウィークの目的」
セミナーウィーク自体の話をする前に
セミナウィークが始まる前の経緯(いきさつ)みたいなところからが大事だと思うんだけど
セミナーウィークが始まる前って言うのは
実はセミナーウィークっていうのは 今 月一で約5日間 東京に行ってるんだけど
その前って言うのは 約3年くらいの温存期間があって
東京に行ってない期間が 実はあって
で、その前もまた数年間 東京に行ってた時代があるわけね
今は大塚さんが主催で 東京に呼んでるんだけど
当時はまた別の人がやってたんだけど
その時には セミナーウィークって言うのは月2回あって
第2・第4の曜日は東京に月2回行ってるペースで、
で その時も4・5日の2回みたいな感じのペースで行ってたんだけど
その時代 東京に僕を呼んでる主催者側の人たちっていうのは
一つのグループを
経営者だけが集まって グループを組んでいて
その人たちが 自分たちの仕事にも活かしながら環境をつくるっていうことで呼んでたんだけど
その時に いちばん遠い立場に 大塚さんがいたわけ
そのグループの中に
で やっぱりやってることも大切なんだけど
またそれ以上に人間性っていうか “人” っていうところを見ていて
当時の僕を呼んでるメンバーの中で
存在的には一番影が薄いんだけど 大塚さんに目をつけて
他の人はあんまりマークして無かったわけよ
で やっぱり目を付けた通り
3年もそういう生活っていうか を繰り返してると
何をどうしていいか分からなくなったメンバーは僕を呼ばなくなったわけさ
まぁ 自然消滅って言うかそんなっぽい
結局 しょせん心の奥底で 「しょせん人は金だ」と思ってるのか
「いやいや愛でしょ」って思ってるのかが 本当に初めっから運命の分岐点で
運命の分岐点が来る時に人は人生が変わってるんではなくて
そもそも その人の本質的な所に 根本に何があるのかってことで
実際は 僕は決まってると思う
で そういう意味で言うと 当時の経営者は
表上 良いこと言ってても 実際は「しょせん金でしょ」って思ってたりするところで
3年も付き合ってると そこが だんだん だんだん 露呈してきて
なんか こう..
大事にされてる部分が違うっていうか
人間性や本質・愛、そういった部分が 本当に根底にあって大事にされてる
っていうのは いざという時にやっぱり ガイドラインがそこになるけど
そうでない人たちは いざという時に 金がガイドラインになってしまう
だから「金のためには」って人間性が変わるって言うか
そういうカラクリって言うのが どうしても人にはあるので
ウソはつけないようになってるなぁと思うんだけど
その時に いい意味でも 悪い意味でも
大塚さんが金に疎いっていうのが
で ほんとに魂に火が点くのは「本当に地球の未来を良くしたい」っていう
ところの話題になると 大塚さんだけが 非常に こう このメンバーの中でキラキラしてるっていうか
で そこに着目してたって言うか 僕は
で それからその出張グループの仕事が1回 3年くらいで途切れて終わって無くなったんだけど
大塚さんは「あ、金城先生から離れないでおこう」っていうのだけは本人決めてたらしくて
で おもしろいことに 当時 僕が東京出張してた時の
僕のアシスタントメンバーのひとりに 大塚さんとだけは連絡先をちゃんと確認して持ってて
『連絡取れるようにしておきなさい』っていう風に伝言してて
で それから3年だよね
何の連絡も取らず
3年くらい 温存期間があって
で 3年後くらいに そろそろ大塚さんが 良い感じに欲求が最大限に溜まってるはずだから
連絡してごらんって言ったら 大塚さんが案の定「呼べるんであれば 呼びたいです!!」みたいな話しになって
まぁ そこから大塚さんが じゃあどうやって呼ぶか、何のために呼ぶか っていうこと 考え始めて
セミナーウィークのきっかけが生まれるんだけど
始めは 何をどうしていいか分からんし どうやって集客・何のために僕を東京に呼ぶのかっていう主旨も
やっぱり明確じゃなかったっていうか なんとなくはある
なんとなくあるっていうのは とにかく金城先生に会わせれば
その人達が 人生の色んな局面から 抜け出して良くなっていくっていう
だから先生にさえ合わせれば誰でも幸せになるって言うイメージが大塚さんにはあったので
何のテーマで 何のためのセミナーかって言うのは表現しにくかったけど
とりあえずは始まることに決まって で スタートするんだけど
最初の1ヶ月目・2ヶ月目・3ヶ月目っていう 最初の半年くらいは
大塚さん自身が投資して やるような形で 最初は赤字も覚悟でさ
僕を呼んで 講演会始めて まぁその時には たぶんもう何百万も赤字作ってでも僕を呼んだと思うんだけど
まぁ そうやってでも呼びたいって言う大塚さんの意思があったからスタートしたっていうのがもう まず一番初めセミナーウィークの大事な要素かなって
やっぱりお金じゃないって思ってるからやれたことっていうか
で そこから ただ僕を呼べたらいいって事でなくて 呼ぶからにはずっと赤字抱えてはできないので
やっぱりなりのお金のこと 経済面も考えないといけないし
僕のスケジュール 生活リズムも含めて やるならやる
たまに呼ばれる講演会 年に何度かしか呼ばれない講演会 っていうのと
毎月やるっていうのは同じじゃないので
もう毎月やるってなると生活習慣なので
で こっちも沖縄の仕事のスケジューリングっていうのをちゃんと変えないといけない
そういうことも話し合っていく中で やっぱりとにかく毎月ちゃんと東京に呼びたいっていうのも
大塚さんの中で固まって でスタートしたんだけど
まぁ 最初のコンセプトは “とにかく先生に合わせれば何とかなる”っていう
ことからスタートしてる
で 一番初めのセミナーウィークっていうのは
東京の中心地っていうのは当たり前にセミナールームを借りるにしてもすごい高いし
コストがかかる
だから10名そこらの生徒を呼んだって赤字なのよね
だからそういう意味でいうと
東京都内での とくに中心地のところでは
まぁ 最初は僕 拠点が品川が多かったので慣れてたっていうのもあるんだけど
やっぱりコストがすごいかかるから
最初は大塚さんが地元でっていうことで
一応 関東圏っていうことで埼玉の方でスタートしたんだけど
最初の人間学は本当に10名からスタートして始まるんだけど
まぁ なんせ この10名っていうののセミナーやった時のセミナータイトルが
「シークレットセミナー」だったので(笑)
だから シークレット だから生徒が誰にも言わない(笑)
だから口コミが起こらない(笑)
で 大塚さんはその秘密感が良くて なんか聞きたくなるんじゃないかって思ったらしいんだけど
ま タイトルどおりシークレットが続いてしまって なんか約3年くらいかな?シークレットのまんま
こっそり行われてるセミナーってなんかちょっと面白いね(笑)
そんな3年間だったんだけど(笑)
でも まぁ この3年っていうのは 言い換えると
自分たちがそういう関東圏のこの環境の中でセミナーを運営していくのに
色んなことを キャリア 経験を積んで 理解していくためには 必要な3ヵ年だったんじゃないかなって
ふり返れば思うけど
ま そうこうしてるうちに 3年の間に 生徒も 徐々に
シークレットから ね、 セミナー名を人間学に変えて セミナー起こして
徐々に生徒の数が増えて っていう風にして 変わっていったときに
たまたま生徒の中に 子育てに悩んでる人とか体調不良・病気そう言ったものに悩んでる人とか
いろんな人たちがいるから
セミナーの内容や方向性も 健康に関すること とか 子育て とか 対人関係に対すること
が ネタとして増えていって
で そうやってるうちに 人間学とごちゃごちゃしてくるから情報が
だったらセミナーを分けようっていうことになって人間学と子育て系 お母さん向けのセミナーに
柱を分けて
で 人間学一本でやってたんだけど 約3年間は
だけど 途中からあと一つ教室を お母さん向けの教室をつくって
で そこからスタートしていくんだけど
当時はね 個人セッションって言ってからカウンセリングも
間 間の時間 とってたりとかしてたんだけど
個人対応がまだできた時代だから やってたんだけど
セミナー終わって 2~3名のお母さんが個人セッションの時間を
カウンセリング予約を取って やってたんだけど
結局その人たちが カウンセリング料で数万円払っていくっていうことをしていくときに
その カウンセリングをすれば そのお母さんしか聞かないんだけど
それをセミナーでやれば たくさんの人が聞けるじゃん
だから そのカウンセリングを受けてるお母さん達に
『個人でやるんじゃなくて どうせカウンセリング料出すんだったら
カウンセリング受けたいお母さん達を集めて』って
それを会場費とかセミナー起こす興業のコストに割り当てれば
あと一個セミナーを確立できるんじゃないか』って
そうやってカウンセリング料をまとめてセミナー代に
コストに割り当てて始めたのが 実は子育て向けのセミナーだわけ
まぁ これはもう僕のアイディアから始まったセミナーなんだけど
そうやって気がつけば 3年たったときに まぁ埼玉でね
人間学と子育てセミナーの 二つの柱っていうのが もう自然と定着していたわけ
で どうしても ほら 世の中2分の1は男と女で
ほとんどの人が家庭を持ってて
ほとんどの人が家族、子育てっていうのをやっぱりしてるわけだから
そういう意味で言うと 需要というか そう言ったものは非常に求められていて
だから人間学っていうのは自己探求型が多くて
なんか 生きるとは何か とか 己とは何か とか
スピリチュアル 宗教性 神さま関係の神学 なんかそういったことも含めて
色んな多種多様な人間が自己探求をしていて なんかそういう人達が人間学は主に集まってるんだけれども
もう子育てセミナーとなれば 集まるのはお母さんって決まってるので
口コミが早いんだよね
で そうこうしてるうちに やっぱり人間学の生徒よりも
お母さんの子育て向けのセミナーの方が どんどん人気が出てきて
「ここでもやってくれませんか?」「ここでもやってくれませんか?」
っていうことで 埼玉でやってたんだけど
東京都内でのニーズもある 横浜周辺のニーズもある っていう風になっていくうちに
だんだん だんだん 子育ての講演会とか 地域に行ってのちょっとした3ヵ月集中講座とか
そういう感じのものが口コミで ココでもあそこでもやってほしいっていうことで起こっていって
このニーズの・・ なんていうかな、 もうどんだけ求められてるかっていうのが かなり分かってきたわけ
で そこで たまたまその時にまた ね、 小堀さんがかつてからの願いで子育て向けの
人間学のセミナーの資料を元に 子育て向けの資料とかプログラムを開発できないかっていうことの
依頼を受けてたので
こんだけニーズがあるんだったら じゃあもう ちゃんとしたカリキュラムでつくろうかっていうことで
あの~ もうね 集中してね 製作期間わずか2週間だよ! 親力プログラム作ったのは
でも人間学っていう下地があるから プログラム作るのに僕はあまり苦労しなかったけど
それを基礎に これを人間教育に置き換えると っていうことで
人間には 一般には勉強されてないけど 人には成長サイクルっていうのがあって
7年間の7サイクルで 約50年かけて 人はこんな風な変化成長とげるっていうサイクルがある
ね、 そのサイクルに当てはめて 愛着心・生理的欲求・主体性・反抗期・絆の3ステップ・自立の3ステップ とか 承認の3ステップ とか
色んな成長サイクルの 時期 時期 に合わせて
〝どういう風にすれば人はちゃんとした主体性が芽生えるのか〟とか
〝どんな風にすればちゃんと行動力・責任感、色んなものが育つのか〟とか
そういったものっていうのは漠然としてたら分からないけど 『でもやりようがあるんですよ』っていうことが
明確に言えるのがプログラムなので ま、そういうのを開発して
とりあえず先駆けとして 埼玉、神奈川周辺でポツポツ始まるんだけど
まぁ それが だんだん だんだん 口コミで どんどん どんどん 潜在的に
こういうのをちゃんと受けたいっていうお母さん達が どんどん生まれてて、育ってて
で だったら もう逆に(お母さん)生徒から ね、 「いつやるんですか?」っていうぐらいの声も聞かれるようになったので
じゃあもう いっそのこと 正式にカリキュラム組んで
やっぱり項目にして プログラムってやっぱり テーマだけでも60項目くらいあるので
だから到底1年では無理だから じゃあ3年くらいのカリキュラムで組もうかっていうことで
もう看護学校とかそんなの行くのと同じように
3カ年みっちり学んでもらおうっていうカリキュラムで
なんかこう 3ヶ月集中講座とか あんなのとは別の次元で
一つの学校 短大とか大学行くみたいな気持ちで
いや、シンプルに人間育てるのに3年もこういうカリキュラム組まないっていうのは
世の中が変よ
もう そもそも
だから じゃあやりましょう!ってなった時に
どうせやるんだったら どこに定着するほうが一番
より多くの人に受けてもらえるかって言ったときに
交通のアクセスとかそういうのも いろいろ考えたときに
やっぱり東京都内の中心地がいろんな場所から来やすい
今の青山教室っていうのは 下手すると 名古屋、群馬、長野、北海道、
鹿児島、大阪、ありとあらゆる場所から来てるわけさ
でもやっぱり 単純に山手線とか 東京駅みたいに
どっからでもアクセスが可能っていう場所にいれば
乗り換え 乗り換え を 多くしなくても その場所に来れるって意味で言うと
中心地であるメリットっていうのが 非常にあるわけ
だったら中心地でやろうってことで
コスト面も考えて もうたくさんの会場調べたけど
青山で一番 いい場所が見つかって それで
初めて青山教室っていうのがスタートするんだけど
で スタートする時にはもうすでに 募集・集客の必要性がないほど
もう待ちに待ったっていう感じで 構えてるお母さん達が多くて
やりますよって言っただけで パッともう教室には100名くらいの
お母さんが集まってて 青山はスタートした
で それがセミナーウィークの初期型の形ができあがったパターンなんだよね
で まぁ 人間学はそもそもずっとやってたので
それなりの教室としては もう東京で3年以上やってるので
なりのお客さんがずっと続いてる
で 親力プログラムの教室は 3年カリキュラムを前提として
約100名足らずくらいの教室でスタートするっていう
で やっぱ3年育てるっていう前提でやってるので
こっちも単に一時期 東京に行くってわけではなくて
生活習慣の中で毎月東京の教室を育てていくって考え方で東京の出張
もしくは環境に出かけていってるので
もう〝東京セミナーウィーク〟っていう呼び名っていうか
そういったものも そのころからね 生まれて 定着してくるっていう形になるんだけど
ただし 青山っていうのは 交通の便がいい分だけ
色んな地域からいろんなお母さん達が来るっていうメリットはある
でもデメリットっていう面で考えると 青山地元の人がほぼゼロ
で そもそも東京 1400万人あまりの人口密度の中で
そのうち東京の生まれ育ちの人はどんだけいるのかって言った時に
東京の都民っていうのは地域から出てきてる人が もう6割、7割で
ほとんど田舎の出身 地域の出身っていう状態だから
もともと江戸っ子っていうのは少ないんだよね
だからそういう意味も含めて 青山教室っていうのは地元住民じゃないわけよ
だけどプログラムの最終目的は〝人が環境〟
で その人が環境になることによって 地域にその人がつくる環境が生まれるっていう
ことでやってるんだけど
青山はどうしても地域から来るから セミナーが終るとその青山には誰もいないんだよね
で これは 例えば 来年の年初め 2月、3月に僕は
お金に関する本を新しく出版するんだけど
まぁ その本の中で コミュニティ通貨と地域通貨の〝通貨〟の話しが出てくる
で 地域通貨っていうのは地域に限定してるので
その土地にまつわる環境 その環境の中で 地域の中で動くのが地域通貨
ところがコミュニティ通貨っていうのは
地域をまたいでも離れた場所でもコミュニティっていうね
人が集う組織に参加してるのであれば 参加可能っていう風になってて
土地は関係ない
だからコミュニティ通貨っていうのは
ある程度の距離があってもいいんだけど
地域通貨っていうのは一定の場所で行われるものだわけね
だからそういう意味で言うと
地元の小さなスーパーマーケットがポイントカードを発行してたら
そのスーパーでしかポイントは使えないんだけど
TUTAYAとか全国レベルのカードだと東京でも沖縄でもカードは使えるでしょ?
こんな風にしてポイントでもカードでも全国で使えるのとその場所でしか使えないのがあるでしょ?
そうやってコミュニティ通貨と地域通貨っていうのは 違いがあるわけ
ね、 だからそういう風にして考えていくと
まさしく 地元開催で地元に環境つくれば〝地域の環境〟
〝親力プログラムで学んだお母さん達の環境〟=〝地域の環境〟ってなるんだけど
青山の環境は地域ではなくてコミュニティなわけよ
全国から来てるから
だからコミュニティとしては成立する 環境として成立するんだけど
地域としては青山にそれがあるわけではない
だから青山教室っていうのはあくまでも
そういう風にして 〝地域に持っていって還元させるために青山〟っていう ね、
中央の部分 、 一番賑やかな場所で セミナーを開いてるんであって
それを学んだ人たちが地域に持ち帰っていって 地域で今度は地域環境にしていこうとすると
初めてプログラムの 良さというか 素晴らしさ っていうのが 地域に定着すると思うんだけど
で そうこうしてるうちに青山も2年しないうちに 今度は地域に持っていきたいって考え方をする生徒が
やっぱり出てきて
ま、それが藤沢なんだけど
だからのんちゃん(滝沢典子)を中心にやっぱり藤沢で地域に持ち込んでいってやりたいっていう
ことで その熱意っていうのが非常にあったので
まぁ のんちゃんの場合は自分の経営してるサロン
彼女美容師なんだけど
サロンの定休日とか そういった年間スケジュールまで変えてでも
プログラム受けたいっていうくらいの意気込みがあったので
そこまで覚悟をしてる人であれば地域に行ってあげたいなって思えたので
ちょっと無理なスケジュールを変更しながら
じゃ青山をやりながら藤沢の地域もプログラムで育てようってことで
起こったのが藤沢教室だわけ
で そうやってセミナーウィークっていうのが 1日延び、また1日延びで
1泊2日が2泊3日、2泊3日が3泊4日、3泊4日が4泊5日 くらいに延びてって
結局ウィーク化したっていう(笑)
のが 現状のセミナーウィーク
で まぁそのね 青山の特色と また地域で地域密着型 地元ね
地元に定着していく藤沢教室っていう 両方のひな形が
コミュニティ的なもの と 地域的なもの
で 両方 育ち続けてるのが セミナーウィークのいいところで
今はそれが定着してきて 藤沢にもちゃんとした地域の良さっていうのが出ている
だから 今回ねぇ
この セミナーウィークの説明の取材の当たって タイミング良いなぁと思ったのは
初年度 親力プログラム受けた生徒たちが
ちょうど卒業時期に当たっていて
で その教室の生徒たちは〝アドバイザークラス〟っていうんだけど
もう4年目ね、 まるまる4年間しっかりみっちりプログラム受けた人たち
だから本当に 愛着心も沸いて 主体性もあって 明るいお母さん達に
もうみんな変化・成長してるクラスなんだけど
そのクラスのお母さん達が卒業記念に来年度の新規お母さん達に
やっぱり次の環境つくりたいっていうことで アドバイザークラスが中心になった講演会っていうのを
青山でやるっていう 計画 企画が生まれてる
で まぁ 卒業前に 一仕事 だよね
で またそれと時期を同じくして 今度は藤沢の環境にも
来年度の新しい環境創りたいっていう 青山からの流れが
藤沢にも届いていて 今度藤沢も地域の新しい環境に繋げたいっていうことで
藤沢教室の生徒たちがみんなでつくろう!っていうことで また年末 藤沢の方でも講演会があるっていう
この二つの講演会で また新たな環境を創ろうっていうところまで繋がってきて
なんか本当に〝みんなの主体性〟〝環境創りたいっていう方向性〟そういったものも含めて
2年間、3年間、4年間って学び続けたお母さん達の成長ぶりっていうのがハッキリと手応えとして
掴めるようになってきてるなぁと思うんだけど
まぁ その年末の二つの講演会をキッカケに また新たにね
賑やかに 飛躍的に 面白く なる環境が 青山と藤沢にまた
生まれると思うんだけど
そういう意味で言うと 今後の青山・藤沢も楽しみだなぁと思うんだけど
まぁ それと時を重ねるがごとく 同じように 東京に通い始めて最初に キッカケ
セミナーウィークの大事な要素の一つに 九州は大学で行ってたので
沖縄との違いを何となく感じてる
で 講演依頼で 北海道から九州まで 僕は全国いろんな場所を見てきてる
わりと都会の場所、人口密度が高い場所、地方の田舎、色んな場所に出掛けて行ってるけど
同じ講演会ネタを持っていって 都会の中で有効性のあるアドバイスと
田舎で有効性のあるアドバイスっていうのは 同じじゃないんだよ
違う だから そういう地域性も含めていった時に
大阪って非常に地元の人が多い 東京の人っていうのは地方の人が多い
で 東京は「東京人だ」っていう 意識がそんなに無い
でも横浜行くと 横浜は「横浜人だ」っていう意識が すごく強い
たぶん東京にライバル意識があると思うんだけど
で 大阪行くと大阪も「私たちは関東人じゃない」っていう意識が非常に強い
だから 地元・・ 地元・・・・ よく言えば 郷土愛?(笑)
が 強い(笑) 悪く言えば 変なライバル意識なんだけど
まぁ 地域っていうのはそういうのがあるわけよ
だから そういう意味で言うと 全国回ってて思ったのは
地域の「俺は大阪の人だぜ」とか「自分は横浜の人だぜ」とかさ
そうやってやるような主張っていうのは あまり東京では見かけない
東京でそういうこと言っても「だからなんなの?」ってしか言われん
東京は どこの人か、出身か 関係なく そこで実力あるかが問われてるので
ま、単純に言うと競争化でもなんでも東京っていうのは激しいわけでしょ
日本で一番
で 一番日本の中で発展してる場所なんでしょ
だから 言い換えると 腕試しするなら 島根じゃなく東京だよね?
もう単純に言えば
だからそういう意味で言うと 東京っていうのは
なんかそんな変なプライドを持ちかけて
「俺は大阪人だから」とかこんなことを主義主張しても
通る場所じゃない
っていう意味では 東京が色んな意味で
ニュートラルな競争化の現場になってるんだよ
大阪は「自分は堺出身やで」とか「へぇ~!」とか
こういう話題があるのに対して
東京は「墨田区出身だわけ」とか
「世田谷区出身だわけ」って言っても「へぇ~!だからなんなの?」っていうくらい
東京っていうのはそう言ったことを持ち出せない 良さがある
恥ずかしくて「自分がどこ出身」っていう話で
プライド引っ掛けて話できるような場所じゃない
だからそういう意味で言うと
沖縄から出掛けて行った時に 沖縄にこもってたら 島国なので
自分がやりたい環境創りも全国レベルになるのが100年かかる
だけど動かないことには キッカケが生まれない
っていうことで考えた時に
Enrichか何かの記事に 興南高校の我喜屋監督のインタビューの時にも話出たけど
僕は健康セミナーで〝運動〟っていう言葉を出していて
運動っていうのは〝動くと運が変わる〟っていうことであって
だから『 体育 の ことじゃないよ 』っていう説明をする
まず動くことなんだ人生はっていう事を教えてる
健康学で
で 我喜屋監督っていうのは〝ディスポート〟っていう言葉は
〝ディスポート〟つまり、船出する・港から船が出る ことがディスポートなんだけど
つまりそのディスポートっていうのを略語にしたのが〝スポーツ〟に発展したっていう
だから スポーツっていうのは自ら世界を見るために出掛けて行くべきだ と
動いたものが人生を変えていくんだっていうことで
運動っていう日本語も スポーツっていう言葉も
実は語源が似てる
だからそういうとこで我喜屋監督と話が面白いように合うなぁと思ったところがあるんだけど
そういう意味で言うと
東京に出掛けて行ったのは まさしく沖縄からのディスポートなんだよ
〝動かないことには始まらない〟
で それでもちろん東京に
出掛けるなら大阪ではなく 北海道ではなく 東京に ていうことで
東京一点に絞ってセミナーウィークがスタートする
もちろん東京をえこひいきしてるわけではなく
大阪に通った期間もある 九州に通った期間もある
北海道に通った期間もあるの
地域にも通った
で 色んな意味で全国見てきてるんだけれども
みんなの意識が東京に集まって東京にこれだけ色んな人たちが集まってるでしょう
だから東京に行くことによって
島根の人も群馬の人も千葉の人も北海道の人もいて
東京にいると全国にネットワークがあるんだよ 結局
言い換えると
全国から集まってるから
だからそういう意味で言うと 一石何鳥にもなる
環境を拡げていこうとするときに
繋がりっていうのが地域にも勝手に繋がってるっていうか
だからそういう意味で東京はメリットが高いっていうか
で そういうことで東京に絞って まずは拠点 沖縄と東京に創ろうっていうことで
東京に通うことを決心したんだけど
プログラムのこれまでの発展の仕方っていうのは今さっき説明したけど
それと同時期 埼玉に3年通って 関東圏での活動 っていうのを
どんどん どんどん 活性化していく中 やっぱり僕の講演会とかセミナーには
噂を聞きつけた出版会社の人たちが 何度も 実は 押しかけていて
よかったらウチで本を書いてくれませんかって 出版してくれませんかっていう
依頼が実は何度もあって
で 出版のことに関していえば 実は僕は出版の依頼っていうのは もう
20年以上前から 実際は依頼を受けていて 断り続けていたわけよ
自分自身が若いっていうのもあるんだけど
それ以上に 僕が伝えようとしてることが実際伝わらない
僕は調度バブル期の世代なんだけど
バブル期っていうのは雇用対策が正常値の2倍も3倍も
酷いところでは4倍の雇用をしたぐらい 経済が回ってた時代なんだけど
昭和の高度成長期 それから 成長がどこに向かうのか分からない時代があったりとか
色んなするなかで バブルがあって バブルが崩壊してって 色んなキーがあるんだけど
人がバブルが続くと神話を信じてた時代っていうのは
まさかバブルが弾けてこうなる っていう 予想もつかないじゃん
だから社会が絶好調の時に 社会はこれから崩れていくよって
僕が警告しても 誰も耳を傾けなかったわけ
こんな社会の造りなんかもつわけがないっていうことを
どんなに僕が20代30代で訴えても
「そんな言ったって景気がいいじゃないか世の中は」
っていうことで 聞いてくれないから
当時そんな本を出しても多分売れなかったと思うわけよ
聞く耳を持たない
だから 人って やっぱり 言い方悪いけど
病気になったときに日常の健康の有難さが分かるのと一緒で
社会が病んできて初めて
必要に迫られて勉強するってパターンが多い
これが人間の ね、 性(サガ)って言うか
日常からの勤勉さの欠如ていうの?
で 社会っていうのはこれからいろんな意味で
良い意味でもね 悪い意味でも 混乱していくと思うんだけど
まぁ そうやって初めて 僕が持つ情報に対して
みんなが必要性を感じて行く時代が来たなっていう
だからそういう時代背景も考えたうえで
東京のセミナーウィークをスタートさせようっていうのは
僕の中では 計算込みだわけ
20代の頃も 僕は全国 講演会で あちこち行ってるし
30代の頃も あっちこっち行ってるわけ
行ってるんだけれども
セミナーウィークをしっかり定着させてスタートしようと思えたのは
やっぱり40代に入ってからなんだよ
だからその温存期間が20年ある
その20年間 あちこちから出版依頼も来る
だけども『いや、時期じゃない』って 今は聞く耳たてる人は ほぼいない
だからそういうことも含めて
今だなって思えるからセミナーウィーク
東京っていう拠点に なぜ東京にしたのかっていう事も含めて
全部ね ただ流れてるとか ただの行き当たりばったりではなくて
やっぱり経験値から 意図した ことがちゃんと 形になることを計算して
東京セミナーウィークのスタートの時期も場所も全部決めてる
だから漠然としてないわけ
これはまた別の機会に細かい話はするけれども
大雑把に言うと
僕がちょうど30代前後の頃
セミナー講師で たまたま関西圏のね
経営者の企業同友会みたいのがあって
経営者だけが集まってる その講演会に呼ばれた時に
講演しようとすると 僕以外は 僕より ふた回りもみ回りも
年上の経営者を目の前に 講演会したんだけど
さすがにね(笑)
「じゃあ金城先生お願いしま~す」 って こう前に出たのはいいんだよ
ところが前に出たら この経営者たちは 自分よりも ふた回りもみ回りも
年下の若造が まるで自分の息子ぐらいの年の若造が
前で喋ろうとするじゃん
したら もう会長職の人が3割ぐらいで
社長職の人が7割ぐらいの 割合だったんだけど
こう 明らかに キョトンと
「大丈夫なのか; お前;」 っていう
「こんな若造の話聞くの?!」 っていう なんかちょっとね
変な空気が流れてた
で その講演会の時に
僕が話し始めて10分もしないうちに
「そんな話はいいから
どうやったら企業がこれから伸びていくかの話をもっと具体的にやりなさい」
って ある社長が もう僕の話に見かねて
怒って 立って クレーム出したんだよ
立ってからね 「お前の話は本当に役立つのか!」
「こーなのか!」「あーなのか!」 って お前呼ばわりだよ 講師なのに
だから 若いというだけで 経験値も含めて
その情報に 対して 謙虚に聞くかっていうと
社会はそうじゃない
そういう厳しさもある
だけど 僕の中では もう確信があるので
言ってしまえば 僕が19、20歳で言ってたことと
今言ってること変わらないからね
ハッキリ言って
それぐらい確信があるので
この講演中に 立ってクレーム出した社長と
ケンカしたくらいだよ そのまんま
『最後まで黙って聞きなさい!なんて失礼な人なんだ!』 って
『いくら年が上だからってこの態度はないだろ』 って
『最後まで聞いて 納得いかないんだったら金は返す!』 って
『だから黙って聞きなさい!』 って言ってから こっちもケンカ腰で こう
話をして で また再度 講演会がスタートしたんだけど
もう この講演会が終った時に その社長から ちゃんと謝罪があって
「こんなに良い話を聞けると思わなかった」 って
「君はこんな若いのに偉いな」 って 「素晴らしいな」って ことで
お褒めの言葉貰ったけれども
この時に経験したことは あの~ 僕のこの時の講演内容っていうのは
社長職の人には 評価点が70点
かなり良い事言ってるけれども け れ ど も ! 企業は金がないと回らないんだよ!
っていう
お金のことが気になって この~マイナス30点は何かって言うと〝お金〟の問題なんだよ
だけど 会長職の人は僕に100点を付けてくれたわけよ
会長職っていうのは
会社の運営 つまり 数字の部分だけをみてるんじゃなく 人の部分をみてる
企業っていうのは仕事を考えればいいだけの部分と
その 企業を支えてる人間は 全て裏には家庭がある ということを考えていかないといけない
会長職になって初めて 仕事の現場から一線引いた時に みえる視界が違う
だから 会長職の人っていうのは 社長職っていう 役職取ればただの人って言わんばかりに
みえてくる世界が変わってくる
で これで本当に良かったのかなぁ~なんていうことも 考える 時代っていうか 立場が会長職だから
会長職は 僕の話が 人生を語ってるって ことが 感じられるんだよね
だから会長職の人には100点の評価貰ったけど 社長職の人には70点しか貰えなかった
でも僕は
社長職に70点を付けられたんじゃなく
社長職の人があと30点を評価できる力を持つべきだと
僕は確信したわけね
だから 絶対僕の時代は来ると 確信できたわけ
だからその講演会が本当に 一つのいいキッカケになっていて
運営っていうのは 会社の数字・実績・利益 色んな物みるけど
経営っていうのは 人を育てて初めて経営なので
運営と経営の違い分からない社長も多いわけ
まぁ これは 企業とかビジネス系のことで
講演依頼 とか コンサル依頼 とか ある時には必ず出てくる話なんだけど
人を育てるっていうのと 会社を育てるっていうのは イコールじゃないですよ っていう
話しを 僕は必ず出すんだけど
まぁ そういったのが もろに分かりやすい講演会を
関西の方で何度か経験してるので
そういう経験があって それからね
10年の経験を経て 東京セミナーウィークが始まるんだけど
そういう経験値も含めて
東京に選んだっていうことや 人間学(現:やんちゃセミナー)の方向性
っていうのも 計画できたっていうか
で 東京に出掛けることによって
さっきの〝運動〟とか〝ディスポート〟っていう
動くことで人生は変わる って言った時に
東京に行き始めるとやっぱり 予想通り
色んな講演会場には 必ず出版会社の人がいて
でも あえて本当に断り続けて 20代からきた本の出版だったんだけど
今 関西の講演会の話した理由は
30歳の若造が何を言ってるんだ っていう そういうね 社会のレッテルっていうか
そういったのも あるから
非常にそこにリスクを感じてた
だけど まぁ40も過ぎれば 人っていうのは ある程度のキャリアっていうのも含めて認められるさ
もう 場所によっては市長でも40代の人がいるし 会社社長なんか普通にいる 40代では
だから そういう意味で言えば 社会的認知っていうかさ
そういったのも重なっていて 時代も 混沌としてきた時代だからこそっていうのも含めて
本の出版を断ってきた時代は バブルだから 誰も話聞かんから 出しても意味がない
でも今だったら 色んな意味で必要とされるだろうと思うから 本の出版もあり得るな って
このセミナーウィークの時期に なんかこうつじつまが合ってくるんだよね
で それで 一番自分の伝えたい情報 っていう部分に着目してくれた 出版会社を選んで
最初の本が出版されるんだけど
親力プログラムの発展と 時を同じくして この本の出版 っていうことにも 上手く漕ぎ着けて
で このやんちゃな神さまっていう本の出版と共に
また 人生 トータル的に 勉強したい人たちが
人間学に この本を通して また集まるようになって
親力プログラムに負けないほどの 勢い っていうか
パワーで 人間学もまた 教室が どんどん どんどん 火が付いてって
だから 本当に タイミング・時期・場所・人との出会い
そういったものが全部 そこで噛み合っていって
今の東京セミナーウィーク独特の 盛り上がりというか
白熱した教室のムードっていうのは 生まれたんじゃないかな と思うわけ
だから まぁ話せば長いけど 〝自分の生き様〟 とかまぁ そういったものも
あって 初めてこういうことが全部 まるで ね、 一見すると自然現象かのごとく
起こってるようにみえるけど 僕はなるべくしてなった 東京セミナーウィークの熱気じゃないかなぁと思うわけ
まぁ 今後ね この記事の続きっていうのはセミナーウィークを始めるにあたって
アシスタントの苦労話とか 環境が二転三転していく中で どうやって教室が安定したか とか
いろんな話題が 尽きないから そういうドラマを また追って いろんな形で報告していくから
また楽しみにしてて下さい
続く…