「〜のみ」は5次元のこれからの生き方

「〜のみ」は5次元のこれからの生き方

5月テーマは「〜のみ」
もうすでに、愛メシセミナーDVDを見た人は、答えを知ってると思うけど、この『〜のみ』の
”〜”の部分はみんなピンと来たかな?

毎日のミーティング&セミナー収録のミーティングも、熱い、白熱した内容だったんだけど、今回、セミナーにしても楽屋インタビューにしてもホント凄かったよね!?

入り口から、かなりポイントポイントを由亜が話してるんだけど、由亜の興奮した感じで、もうどうだったか分かるよね!

で、今回スタートで言ってたのが「前提は無い」
衝撃だよ、これ。

えっ?何?どう言うこと?ってなったんだけど、みんな聞こえた?
先生はこれまで「前提力」の本を書いてるけど、それは私たちの思考、思い込み、囚われ、3次元の遺物から抜け出ないからなんだよね。強いて言うなら、先生自体、私たちのような前提はなく、自分が神様だったら・・・という事実、真理に基づいて行動してるってことかな。

その例えで出てくるのが、またまたシャッターアイランドの映画の話。

主人公の警部補が探してるのは、犯人。

でも、実際は、犯人(患者)は、自分自身。
ここまではみんなもそうそう〜ってなってると思うんだけど、問題はどこまで、どれだけ”自分自身のこと”として、この警部補を見ているか?!なわけ。

ホントに映画の中の人物だと思ってない?傍観者として映画、人生を観覧してないか?ってこと。

現実から逃避する、”警部補”だという思い込みの世界から抜け出ないままで、犯人を探し続ける警部補。最終的には、いいところまで回復するんだけど、また、警部補という架空の世界に戻ってしまう。

みんなは、自分自身が同じようなことをしてるって、そんなつもりはなくて戻ってるな〜って気がついてるかな? 頭では理解してるつもりでも、行動が変わってなかったら、気がついただけで、目が覚めてないって、ここ数ヶ月のセミナー、楽屋インタビューでも話してる。

 

例えば、由亜のゴルフの話。
100パーセント右を叩いてる話。

100パーセントだよ?

100パーセント右を叩いてるのは、気づいているんだけど、変わってないのは、目が覚めてないから、聞くから「聴く」になってない、あっそうなんだ〜!って聴こえてないから。

で、みんなの聞き方は、右を叩いてるから ダメ!って聞こえてる。もう、ダメって前提持ってるじゃん?!

だけど、先生が言いたいのは、右を叩いてるよ?目を覚まして!ってことなわけ。で、ここでも出てくるのが「受け入れないものは変えられない」

これ、難しく聞いてない?
あのね?「想ったら」変わるのよ!

でも、思わないから、変わらない。

「人間関係煩わしい」
これ、私が自分の中で思い込んでたことなんだけど、今回の楽屋インタビューの中でも話してて「思ってることが言えない」という思い込みね?!

これこそ煩わしいってことを思い込んで、”前提”に持ってるから、煩わしい人間関係が起こるってこと。そんなこと、当たり前じゃん?、知ってるよ?って思ってない?

 

これでも私は、以前、看護師の時、配属されて間もない部署に、非常に苦手な医者がいたわけね。なんでか、言わないけれど、当時の私の上司は察知して、私の当直の時は必ず、この医者の時に組むわけさ(イラッ😤)
で、数ヶ月も続いてさすがに限界になった時、上司に言ったわけさ?「なんで、いつもこの先生となんですか!他の曜日に変えてほしい」と。

すると、上司から一言
「幸美、嫌いだからって、逃げんなね〜」
と言われたんだね?、それも笑いながら。

楽屋インタビューの中でも「逃げんな!」って未亜のパターの話で先生は例えてるんだけど、私はそういう自分の出来事と重なって聞こえたわけさ?

当時、思ったのが、今、ここで嫌いだからって避けたら、ヤバい!ずっと嫌いな人を避けて生きる自分になる!と思ったんだよ。だから、見ないようにするんじゃなくて、ちゃんと直視しようって思った。

そうやって逃げる自分を好きになると思う?
これが自分を嫌いになるところ。
逃げる=卑怯
卑怯って、そんなことを自分に経験させたいのかな?
向き合わずにいることが卑怯ってこと!

 

だから、聞くんだよ。
「自分にどんな経験をさせてあげたい?」

これこそが「自愛」

人間関係煩わしいって思ってたのは、その人に対して、どう反応する自分なのか?が自分で自分のことを知らないから、煩わしい・・・って逃げてるんだなって分かったんだよね。苦手意識って表現だよね。

その医者が苦手、煩わしい・・って思ってたのは、意思表示が分かりにくい、ご都合主義で、なんでもまあまあまあって丸く収めようとする性格の人だったからなんだよ。

そこでハッキリと、ハッキリと言いたいことを言えたらなんでも無いことを、相手のこともあるさ〜ね?!と相手を気遣うような、出来ないことを出来る素振りをするから、言いたいことが言えない、人間関係煩わしい・・・ってなる。
そこが「情けと愛」の違い。

私が、情けは人のために在らず!って何度も先生に言われるのは、自分に愛が無いから、愛が分からないからなんだよね?

これ、殊の外、問題だよ?!

崖っぷちに立ってるの、自分だから。😇私が「情けと愛」の違い、情けは人のために在らず!って何度も先生に言われるのは、自分に愛が無いから、愛が分からないからなんだよね?

こんなことを自分に経験させたいの?

今回のテーマ「〜のみ」っていうのは、愛メシセミナー最後の最後に先生が、答えを言うんだけど、みんな分からないってことが分からないから、分かってるつもりで聞いてる。

勿体無い〜。

「〜のみ」→ のみ」

 

先生は
「愛」って、科学的に話してる。
ただ漠然としたものではなくて「真理」。

私は、それを感じて生きていきたいな〜って思う。

最近、つくづく思う。
私は「食」のことが入り口で、いろんなことに紐づいて開けたことが多い。
最近のえーりの記事「お箸」のことにも書いてるけど「食」とは命を頂くこと。あの世とこの世の橋渡しという意味。

そう言う意味で、自分自身の命を支えるもの、食の根本は本来『感謝』であるべき。
だけど、そもそも全てが感謝。
生きること自体が「感謝」であるべきだな〜と。

命を授けただけで、自分自身が生まれてきただけで、本来は感謝であるべきなんだよね。
だけど、3番目も女か?、病院に置き去り・・とか、お母さんのせいが1パーセントでもあると、感謝ではなく、ありがとうという部分的な表現になる。

だからこそ「親切」が大事になる。

今回のテーマのみ」は、まず自分自身を愛することからしか始まらないと教えてる、気づかせる内容になってる。

先生の白熱した、情熱!温度!エネルギーをすごく感じる楽屋インタビューだった。

それが生きるってことなんだな〜って思うし、同じような生き方をしたいなーーって思った、まさに神回だと思う。

先生の後を付いていくのではなく、共に歩む者として生きたい!と思う。

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