今月、6月のインタビューのテーマは、生き方の基準=価値の基準 〜まじめさとは〜
これまで、セミナー、講演会でも常に「真面目って?」って聞いてるし、先生の著書『やんちゃな神さま』でも“まさか、まじめに生きなきゃなんて、思ってませんよね?”ってキッチコピーに書いてある。
そう書いてあると、”まじめのどこが悪いんですか?”って気持ちがわさわさ騒ぐんじゃないかな?
例えば、正義。
数か月前のインタビューでも出てきている内容。正義について語ってても、そもそもの意味が分かっていないのに、分かったつもりで論議してるんだよね。
私は、バリバリ正義感があるとは思っていたけど、そんなにまで?って思うほど、強烈で正義感の塊の母親にそっくり?ってまったく思ってなかった。
(これは「親切」とも関連するので、必ず「沙織BLOGの”親切”」を読んでください)
楽屋インタビューでも、デモに参加しますか?って先生の質問に、みんなは行かないとか、返事に躊躇してるけど「私、デモに行きそう〜〜」って答えた。もちろん正義のためには!!国を訴えてやる~くらいの勢いで思ってた。
先生はあきれた様子で、もうもう行って来い!!って言ってくれたけど、自分の気が済まないことは、ずっと引きずって五次元、愛の世界に戦う気質を持ち込む。自分がね? でも、それがいい悪いじゃなくて、気づくことが大切って教えていただいた。
だから、ひとつひとつ、インタビューでもセミナーでも、私や見て、聞いて、読んでいる人に『問い』が起こるように先生は問題提起している。 問い と言っても、誰かに答えるとかじゃないよ? 自分自身が何を思っているか?「知る」ために自分に問うんだよ?
「行きそう~」って思ってても、その時の私の事実、思ってたことが事実。
この「事実」を真っ直ぐ答えないから、自分自身を理解できない。頭の中で、行くっていったら間違いかな? 行かないっていったら薄情と思われないかな?とか、そんなつもりがなくても、“駆け引き”してる。自分の本音と建て前とでね。
自分自身の中で、本音と建て前とで戦っているから、そもそもデモに行く以前の自分の問題なのだよね。
そうやって建前で周りと関わり、自分の本音を気持ちを扱わないことが、不誠実だ!って教えてくれている。人として不真面目ってこと。また本音を言わないこと、これも“親切”に関係する。
こういう正義はとか、一般常識を分かってる、守れる人が「真面目」だと思ってないかな?。私は、インタビューのなかで答えているように、行く行かないとか、そういうことを話し合えることが真面目だと思ってた。
だけどさ? そもそもなんだよ。そもそもが違う。生き方の基準が違うよ?って言ってる。
生きる目的は? 本音を気持ちを扱わないで、何のために生きてる?
誰かの機嫌を取るため? 人間関係をよくするため? それも何のため?
上手に受け答えする、出来ることが優秀?
優秀でいることが、勉強が出来ることが優秀? やっぱり、先生の言うように通信簿気にしてるよね? 人との関りでも。
そこを問わないから、学校に行かせて、成績を気にして、いい大学、良い就職、曳いては良い就職で、いい生活がステータス!とも思っているんじゃないかな?
だけど、もうそういうことではもう生きていけないよ? 価値の基準がそもそも違うよ?って話してるんだよね。
今、自分が信じているものが、違う。
知っているつもりでも、100%間違ってるって、目を覚まそう!って話してる。
だけど、そう思えないから、って言うことは?って聞くから、一歩目が踏み出せない。
「生き方の基準=価値の基準」真面目さとは?って言った時、これまで信じてきたことが100%違う。 知らないことを知ること。まず、それを受け入れること。
真面目って言った時、自分の気持ちを扱う、自分の気持ちに責任を持つ。
そして、『学ぶ姿勢』。
自分の周りで起こること、出来事から何を学ぶか。
1%でも、誰かのせい、何かのせいにすると、アウト。
コロナ過になって、2年半。もう言い訳の出来ないところの分岐点にいる。
あらためて、自分の生き方、価値の基準、そしてまじめって?といった時、自分が何を大事にしてこれから生きていくか?を白黒、ハッキリとケリをつけて、愛で生きると決めよう。
知らないから楽しい!!
各ページもぜひ読んでね!!
◆6月楽屋インタビュー はコチラから