今月のイチ押し‼️ ”姿勢”って・・・ なぁ違とーん

今月のイチ押し‼️ ”姿勢”って・・・ なぁ違とーん

HAPPY BLOGファンの皆さんこんにちは〜🎶3月、4月は巷では新しい門出に大忙しで、ある意味の分岐点だね。そんな分岐点に人としての何が大切か踏まえているか改めて見直してみよう (笑)

ということで、今月のイチ押し記事はみーちゃんの『姿勢って・・・なぁ違とーん』です。

この記事では人の臨終を通して人としての基本的なこと、在り方について書かれているんだよ。ここで登場するMおばさんは親族なのでえーりもよく知る人物。そのMおばさん、身近な親族の臨終に対して”怖い”というのだから人として明らかに間違っている。

人はいざという時に本性が垣間見られるものだが、それは日頃から何を思い、何を信条としているのかが現れることでもある。

Mおばさんはそれを正す機会もなく60年余り過ごしてきた。これこそ人としての臨終で、これこそが”怖い”ことだとえーりは思った。

そういうことを踏まえてもう一度この記事を読んでほしい。

自分が何を思い、何を信条として生きているのかを問うキッカケになってくれればと思うと同時に人として臨終にならないよう気づいてほしいと思うよ。
*by 恵里子

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HAPPYBLOG &神友の皆さーん。今、もう毎日繰り広げてるミーティングは、愛メシセミナーの内容とリンクしてることと、内容がそのまま出てきているので、由亜の名探偵は必読。

気がつけば、シンプルになるところを、そんなつもりはない・・・って気づかずにやってるんだから、自分のこととして聞こえたらいいね〜って思うよ。

「自覚は魔法」

で、今日は、そのミーティングの中で出てくる「姿勢」の話で、思い出したことがある。

私は、LIFEVISIONで仕事する前って、看護師してたのはみんな知ってると思うんだけど、18歳で家を出た時は関西で寮生活をしていたわけね。で、最初に勤務していたところは、一次救急だったから、まるで野戦病院みたいで、救急車が2〜3台、同時に停まるのは当たり前で、特に交通事故で運ばれてくる人が多かったわけ。

当直は27時間勤務で、救急搬送依頼で受け入れても、来た時には死亡宣告するだけの時もあったし、とにかくバタバタしてる病院だったんだよね。そんなこんなで、ちょい疲れて沖縄に帰ってきたんだけど、しばらくして、勤務した病院で配属が、内科の急性期病棟。

沖縄では、旧暦の1日・15日(ついたち、じゅうごにち)や、潮の満ち引きにあわせて、人が亡くなるって言われてて、その時は夜勤を嫌がる人が多いわけね。でも、私はそう言うことは気にしてなかったから、結構、亡くなる人に当たることもあったわけ。

で、家族に引き取ってもらう前に、綺麗に身体を拭いてあげて、着物を着替えさせて送り出すんだけど、数え切れないくらい送り出した。

いろんな家族模様を見たよ・・・。
切ないね〜。

そんな時、まだ私は22くらいだったかな、えーりの記事にも出てくる”おじぃ”ちゃんが、老衰で亡くなった。老衰だったんだけど、自宅で亡くなったから、警察の確認と医師の死亡確認の後に、母親から私に連絡が来た。

”あんた、Mおばさんの家行って、おばさん手伝ってきなさい!”って。

えっなに言ってんの?・・・と思いつつ、聞くと、おじぃが亡くなったから、Mおばさんと一緒に着替えとかと手伝ってあげなさい・・・と言うことだった。

そこまでは良ったわけさ?。

で、実際、私が一人でそのMおばさんの家に行って、だぁおじぃはどこね?って、Mおばさんに聞くと、Mおばさんは、どこどこに寝かしてるって言う。

私はおじぃの側に行った。

あいぇな〜、おじぃよー、生きてる間に顔を見とけば良かったねーとつくづく思った。厳しかったけど、子供の頃からお世話になってきたおじぃだけに、愛着があるおじぃだったわけ。

どれだけの人格者だったかは、えーりの記事や先生の話にも出てくるから分かるよね?だからさ?綺麗に身体を拭いてあげたくて、だぁ!Mおばさん!一緒に体拭いて、着替えさせよう!って言ったわけ。

したら、このMおばさん!なんて言ったと思う?

「私、死んだ人は怖いさ! みーちゃんあんた、こんなの慣れてるでしょ?、あんたがやったらいいさ!」って。

私は、えっ?!何言ってんのこの人!!と思ったけど、手伝う気もないし、これだけお世話になった人を、ただの死人扱い!?って思った時、逆に触らせたくない!って思った。

だから、一人で身体を拭いてあげて、着物を着替えさせて、整えてあげた。

 

沖縄では「なぁ違とーん」って、ある意味、人間じゃない、人間としての道徳、モラル、人としての秩序がない時に使う言葉なんだけど、この時ほどMおばさん、やばいでしょ!「人が違う」「人は違う」『人として違う』と痛感したことはなかった。

確かに、医療従事者は、人の生き死に慣れてるって言われることが多いけど、感情が麻痺してきている人も中には居ると思う。だけど、今の社会、先生がなんで?って、ニュートラルな問いかけに答えきれない時点で、まともと言えないんじゃないかな?

「慣れてるでしょ?」って、平気で言える人の方が、よほど、逸脱していると思うよ。

親力プログラムでも教えているけど、
「ダメなものはダメ」

が、分からないのは、人として間違ってる・・って思う。大人になってもそれが分からないのは「自我」をつぶされていないから。沙織BLOGにもある「それはそれ、これはこれ」が分からないってこと。
母親自身が、それをされていないから、子供のわがままを区別できないし、子供に教えることが出来ない。

 

結構シビアな話だと思うけど「人として違う」「人の違い」ってところで、日頃、何気ない言葉、行動に出てくるから自分自身の姿勢として、自分が何を思い、何を信じているのか?って、問いをちゃんと持って見直して見た方がいいと、このミーティングでおじいのことを思い出して思ったよ。

今、ここにきて、分岐点にきて、この「ダメなものはダメ」が、分からない、理解できないことは問題。

「自我」が通ると思ってるから、言い訳するし、そんんつもりはない!って言い張る。

あっダメなんだ!?って気がつく、受け止めることが人としての道理なんだって思う。まず、それがあって上での5次元の話だと思う。

ダメなんですね!?って素直に、受け止めること。自我は3次元の遺物なんだから、気が付こう!

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金城 幸美

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