オジーの想いを受け継ぐ

オジーの想いを受け継ぐ

神友の皆さんこんにちは。
今月のHAPPYBLOGイチ押し記事は、
ご存じ、えーりとおじぃの会話でえーりがおじぃに諭された話。
毎回、心洗われる状態になるのが、えーりとおじぃの会話なんだけど、
いつもおじぃ凄いな~と思うのが、
子供のえーりに「道理」を教えているところ。
親力プログラムでは『子供は理解力がある』と教えているけど、
「道理」って、人としてが基本だから、大人子供は関係ないって思う。
それを、何も分からない、赤ちゃん扱いするのが親側なんだよね。

でもさ?親になって初めて分かることってあるじゃん?
自分が子供の頃になんで?と思う事でも、
親になって、こんなに思ってくれていたんだな~って感じることがあると思う。

親になって、それが分からないなら、道理が分からないってこと。
それくらい違うし、分からないことが分からないって本当に問題。

そういう意味で、
おじいとえーりの会話を感じてほしいし、
人として何が大事かを教えていると思って読んでくださいね。

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HAPPY BLOGファンの皆さん、おはよ〜

今朝の沖縄はめっちゃ寒くなった〜〜〜⛄️

挨拶も「おはよう」の代わりに「寒いね〜」ってなるぐらい 笑

沖縄ではこの時期の寒さをムーチービーサといって、冷えに気をつけているんだよ。

 

このムーチービーサにまつわるカーサームーチーの話はヒロミの記事を読んだ人はわかっているかと思うけど、えーりも忘れられない出来事があったので皆んなにも読んで欲しい。

 

オジーの想い

118日(旧暦128日)は、沖縄では月桃の葉に包んだ餅、カーサームーチーを作って食べる慣習がある。

その時期は寒さもピーク。その寒さに備えて家族の健康を願って月桃の葉に包んだ餅、カーサームーチーを神仏にお供えして「家族全員が健康でありますように」と祈願する。

それがカーサームーチーのいわれで 沖縄の慣習になっている。

現在の家に引っ越して来た頃、庭に月桃の苗を植えたお陰で我が家は毎年十分な月桃の葉が取れ、なので沢山のカーサームーチーが作れているが、月桃を植えてない家では葉を買って作っている。

えーりが幼い頃はほとんどの家でカーサームーチーを作っていたので、学校からの帰り道は月桃の香りがどこからともなく漂っていた。

その香りにえーりは生唾を飲んで家路を急いだものだ。

近年では ほとんどの店やスーパーで蒸し上がったカーサームーチーが売られているので、わざわざ作ってお供えする家庭も少なくなってきてムーチー作りの賑わいも徐々に薄れてきている。えーりはそれをとても寂しく感じている。

だからえーりだけでも賑わっていようと 毎年声をかけて数人で作るようにしている。

毎年カーサームーチーを作りながら幼稚園の時のカーサームーチー作りを思い出す。

えーりが幼稚園のカーサームーチーの日は、深夜から小雨が続いてたせいでかなり冷え切っていて布団から出るのが辛い朝だった。

そんな中、オジーは暗いうちから起き出して徒歩で1時間ほどかかる山に入って月桃の葉を摘みに行った。もちろんそれはその日のカーサームーチーを作るためだ。

オジーが出て行くのにも気づかなかったえーりだったが、ちょうど幼稚園へ向かおうとしたその時、額に汗したオジーがたくさんの月桃の葉を背負って帰ってきた。

真冬の寒い朝だというのにオジーの額からは汗が流れ、口からは白い息が見えた。額の汗にその作業がいかに大変だったかが伺え、労をねぎらいたかったが「帰ったらえーりも手伝うから待っててね」と一言声をかけて足早に家を出た。

足早に出たのは、早く動けば巻き巻きで一日が早く過ぎてくれるように思った子供ながらの発想からで、その日は幼稚園での時間がとても長く感じた1日になった。

幼稚園から帰ってくると、外の洗い場で葉っぱを洗っている途中だった。それにはとても驚いた。量も量だが自生する月桃はこびりついた土や埃でかなり汚れてて綺麗に洗い上げるのに相当の時間がかかっていたのだ。氷水のように冷たい水道水で一枚一枚綺麗になるまで洗うのだから時間がかかるのは当然のことだった。それにしてもこれはとても辛いよねと思いながらオジーの手を見て思わず

えーり:もういいからやらないで!

と口をついて出た。

オジー:なんでだ?

えーり:こんなに冷たい水で何時間もかけて、、、

と言いかけて半泣きになった

オジー:みんなの健康を考えたら水が冷たいぐらいなんてことないさ

と笑って返してきた

オジーの手は赤紫になっていた。 それでも黙々と葉っぱを洗い続けるのを見てえーりは何も言えず、袖をめくり かがんでタライに手を入れた。その瞬間、全身の毛が総立ちになり、手伝おうと思ったことを一瞬で後悔していた😰

こんな状態で何時間も洗っていたのかと思うと、何がオジーをそうさせるのかと不思議に思いながら オジーの隣で葉っぱを洗った。

かなりの葉っぱを洗い上げて、その一枚一枚にこねた餅粉を包んで次々に蒸して仕上げていった。

最後に蒸し上がった頃にはすでに夕方になっていた。

カーサームーチー作りの大イベントはこれで終了。

やっと一息ついたオジーが火鉢の前で暖をとりながら静かに話し始めた。

オジー:オジーは健康が一番と思っている。人は健康で元気ならどんなことでもできるし、どんな事も乗り越えられる。健康ならここも上等になる(胸をさした) 健康な身体が本当の宝。だから皆んなが健康であって欲しいとオジーはいつも思っている。その健康の大切さを忘れないためにこのカーサームーチーの日があるんだよ。日頃 健康でいられることへの感謝と、これからも健康であり続けることの大切さを意識する日がこの日。日頃からそれを忘れないで暮らすことを大事にしなさい。いいか?わかったか?

と言って、疲れた顔を一切見せず 穏やかな顔をしてた。

えーりはカーサームーチーが大好きでただ食べれればいいと思っていた。 カーサームーチーのいわれもまったく気にしなかったし、それにかけるオジーの想いなんて考えてもみなかった。

だからオジーからそんな話が聴けたことがとても有り難かった。

オジーの想いを聞いてからはカーサームーチーに対する観方が大きく変わった。

オジーのカーサームーチーへの想いは慣習やただのイベントではなく、そこには家族への想い、健康でいられることへの感謝というしっかりとした土台があることがわかった。

現在ではカーサームーチーがただのイベントや慣習のように捉えられているかもしれない。形式だけで神仏にお供えする家庭も少なくないとは思うが、えーりはオジーが大切にしてきた想いをカーサームーチー作りに込めて後世に伝えたいと思っている。

確かにカーサームーチーを作ることは骨の折れることではあるけれど、それは家族の健康を願うこととは比にならないことなんだと感じている。

今年のカーサームーチーは金城家の2番目の孫 ミーコの初ムーチーだ。オジーは初ムーチーの子がいると、特に盛大に親族や親しい人たちにこの子の健康を共に願ってやってくださいと振る舞うため大量に作っていた。

だから今年のムーチー作りはスタッフと大平家の子供たちも総出で作ることにした。手伝っているのか、はたまたジャマしているのかわからないが、有難いことに賑やかなで楽しいムーチー作りになった。

たくさんの人のてぃーあんだーでこねられたムーチー(餅)は最高なムーチーになったことは間違いない!ミーコもまた、23年後にはこねる側になることだろうと思うと嬉しくて仕方なかった。

きっとオジーもそんな気持ちで見守るようにえーりたちを見ていたと思う。

※てぃーあんだー:手の油。心を込める、愛情を込めて丁寧に作るという意味

えーりは家庭を持って41年になった。子供たちも家庭を持ち、それぞれでカーサームーチーを作るようになって、えーりが作る数はかなり減ってきたが、カーサームーチーへの想いは薄れていくどころか、年々増す一方だ。

いろんな慣習がある中、このカーサームーチー作りは後世にも伝え続けようとえーりは思っている。

カーサームーチー作りの慣習も意味がしっかり分かってくると大切にしていきたいと思うのではないだろうか⁉️

これからもオジーのように健康にありがとうよ〜との想いを込めながら餅粉をこねて美味しいカーサームーチーを作り続けていこうと、幼稚園の頃のムーチー作りを思い出しながら改めて思った。

これを機に、当たり前になりすぎている健康について考えるきっかけになればと思う。

“ちゃ〜ありがとう”

見守られてる命に 感謝!

 

「想いを引き継ぐ」という意味でも、
沙織の最新記事「100%」は必読だよ~。

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最新記事 No157 『100%』

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真志喜 恵里子

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