今月のイチ押し! 『敬老の日』

今月のイチ押し! 『敬老の日』

HAPPY BLOGファンの皆さん & 神友の皆さんこんにちは(^^♪
今月のイチ押し記事は、えーりの「敬老の日」だよ。

今じゃあえーりも還暦を過ぎて、敬われる側になってるけど、あれでも子供の頃はあったんだ~って思うよね。(笑)
だけどさ?えーりの子供の頃とおじぃとのやり取りは、なんだか心温まるっていうか、人としての基本、根本的に大切なものを教えてくれてるって思う。そもそも、人としての道理を当たり前に教えてくれてると思うんだよ。

子育てにしても、今では、教えないといけないことも、学ばないといけないことも、しっかり、ちゃんと日常から家庭のなかで、親から子へ、孫へと引き継がれていってたんだと思うんだよね。
それが、えーりとおじぃの関わりを見ること、読むことで再認識するから、何度でも読み返してほしい。そして、女性のお母さんの自尊心に火をつけてほしいな~って思う。

もちろんだけど、先生の著書「WOMAN’S GIFT」も、併せて読んでほしい。

では、早速、えーりの「敬老の日」読んでね。

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これまでは「敬老の日」といえば祝う側というか、敬う側だったえーり。それが今では祝ってもらう側になってきた。今年の敬老の日もスタッフの子供たちからプレゼントを貰い、バーバ、オババの通称も板についている。

敬老の日になると母方の祖父で食育ブログにもちょくちょく出てくるオジーを思い出す。

えーりはオジーっ子で、長屋暮らしの中 大半を祖父母と過ごしていた。オジーは物静かで無駄なお喋りなんてすることはほとんどなく、長いキセル(刻みタバコを吸う道具)で刻みタバコを吹かしていた。そんなオジーの傍で寄りかかりながらオジーの話を聞くのがえーりは一番好きだった。

なぜか何ともいえない心地になれたのだ。

オジーの話は深い話が多く、子供にそんな話をするのか?って思うことも多々あった。

今回はオジーの話の中でも特に心に残っている出来事を伝えたいと思う。

 

戦争に観ることは?

オジーには62女の8人の子供がいた。

上の二人、長男と次男は先の大東亜戦争に出征していた。

その二人は風貌も性格もオジー似で2人を知る者たちは口を揃えて「この二人がいる〇〇家は安泰だ!」と言われるほどの人格者だったと近所の人から聞いていた。

次男は終戦直後、「無事帰る」の電報を打った後、沖縄行きの船に乗船。ところがその船の中で脱水で命を落とし、親元には白い布に包まれて帰って来たそうだ。それを見たオバーは気を失いその場で倒れたと母から聞かされた。

元気に帰ってくると信じていた息子がそんな姿で帰ってきたのだから無理はない。

オバーは「いっそうのこと自分も死んだらよかった」と口走ったと。

だからオバーは戦争に出してしまったことを死ぬまで悔やんでいた。そして「総理大臣が許してもわんが許さん!」「二度と戦争に参戦させない、国の言いなりにならない」がオバーの口癖になっていた。

 

一方 長男については戦死の通知もなく、帰還するわけでもなかった。完全に行方知れずの状態だった。

長年帰還せず、行方知らずの場合は手続きを取れば遺族年金が受け取れることになっていたが、オジーは「どこかで絶対生きている! 必ず見つけ出す!」と言い、遺族年金の手続きを取ろうとしなかった。

えーりが学生になった頃でもオジーは長男の行方を調べたり、同じ南洋諸島からの生存者がいると聞いては会いに行ったり、確実でもないわずかな情報に駆けずり回っていた。

とにかくオジーはどんな手を使ってでも長男を探すことに必死で、その時の顔はとても険しかった。そんな気が休まることのないオジーを見て胸が締めつけられた。

不確かな情報とわかっていても一縷の望みにどこへでも走ってた。毎回 肩を落とし帰って来ては意気消沈し、寝込むこともよくあった。戦後何十年経っていてもオジーには戦後は訪れず、そんなオジーを見て涙がこぼれた。

最愛の息子が行方知れずともなれば狂わんばかりではなかったろうと察しがついた。

えーりが社会人になって何年か経った頃、長男と同じ部隊にいたという生存者の情報が飛び込んできた。

その人の話によると、長男は南洋でアメリカ兵と差し向かうという状況に自ら先に武器を下ろし、アメリカ兵によって蜂の巣のように銃撃を受けて死に至ったとのことだった。

その人は「先に打っていれば助かっていたのに」と悔しがっていたというが、オジーはそう思わなかった。オジーは人を殺さなかったことこそが救いだと言った。

 

その頃のえーりにはオジーの言葉の意味が理解できなかった。

自分の息子が蜂の巣になったというのだ。これほど聞くに絶えられないことはないからだ。

戦後何十年も経ってても諦めず探し続け、何度も落胆し体調を崩してきたオジーが走馬灯のように思い出され、あまりの悔しさにこれでは死ぬまで聞かなかった方がマシだったかもしれないとえーりは思った。

そんな死に方をした息子に心を痛め、生きる気力を無くしてしまうのではないかと心配でならなかった。

ところがそんなえーりの心配とは逆にオジーは元気を取り戻していった。

心の重荷を下ろすことができたからなのか、これまでにないオジーになっていった。

なぜオジーが元気になっていったのか?

それは『人を殺さなかったことこそが救いだ』の言葉に表れている。

息子が いつ どんな時でも愛を生きる人間で誇れる息子だということがわかったからだった。息子の命の美しさを観たからだった。

『時に命より大切なこと、守るべきことがある』

生きのびることが全てではなく、どう生きて どう死にゆくのかが大切なことなんだと今、えーりは思っている。常日頃からオジーが大切にしている人としての在り方を直に感じる出来事だった。

それからオジーはまもなく静かに旅立った。

その時もオジーらしく威厳ある死に方だった。

どこまでもオジーらしいな〜と思いながら えーりは笑顔で見送ることができた。

きっとオジーは行き着いたところで長男と次男と供に昔話に花を咲かせていることだろう。

 

戦場は人と人とが殺し合う場。 恐ろしく、醜く、悍ましいのが戦争。

そんなところでも愛の花を咲かせることはできる!

それが人!  それが人間!

それが証明された出来事。

この事を通して、どんな人間で在りたいか 自身に問いかけてみてはどうだろうか⁉️

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真志喜 恵里子

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