遺言 〜冥土の土産〜
10月のタイトルは「遺言」冥土の土産・・?なんとまあ、シュールなタイトル。
だけども先生は「価値観の見直し」見直しの提案をずっと人間学のセミナーを通して伝えてる。それが、もう、いよいよなんだな〜って、もう後が無い感が・・・しみじみ感じる今回のテーマ。
だからこの「遺言」なんだよねー。
ほんとに覚悟が決まってるのか?
自分自身の正念場って感じたんだよね。
「聞く」から「聴く」へ。
聴こえたら、いち抜けたで、もうシステムは使わない、我に返って”箱”に戻ることもない。まあ、今回も話してるけど、もう5次元でシステムも無いんだよね。
もし、あるなら、それは自分自身。
「お前だよ!」ってこと。
性格の反応で作った、人格。それを自分自身の本質って勘違いして、周りと関わってるから、間違いなく消去される意識。
楽屋インタビューで先生が「みんなはそれを、そのまんま聞こえてるの?」って質問された時には、大爆笑だった。
(ここは、楽屋インタビューをぜひ、見てほしい)
えっ?だよね。
で、先月の内容、ちゃちゃちゃのやんちゃでも話してたんだけど「問いかけ」が起きてない、起きても「問い」が間違ってると「知る」が起こらない、知るにならないとビジョンに行かないってなってる。
「問い」はニュートラル。
ニュートラルっていうのは前提も先入観も、何も無い状態での「問い」
だけど、分からないことが分からないから、知ってるつもりで、自分の前提を持って聞くから「問い」が起きない。
先生はいつも僕は、ニュートラルに聴いてる。何もないよ?って言ってくれてるけど、あ〜かな?こ〜かな?って考えて、思ってるのは自分自身ってこと。その自分を通してしか、物事を見ないから、先生が本当に何を言いたいのか、伝えたいのか、実のところ私たちは、何も理解してないんだな〜って思う。
ビジョンを生きる、希望を生きると言っても、私たちが持っているのは「反動価値」先生はセミナーで支える思考って言ってたけど、それがある限り、ビジョンの話は出来ない。
5次元に持ち込めないことを、ずるずる引きずって、未練たらたらで、将来を不安に思うから手離せない。これは、背に腹は代えられないって思い込み。
今回、タイトルがこのタイトルな所以なんだな〜って思ったのは、「人は認識したものを経験する」って言葉。
自分らしい経験をしたい と思ったら、その経験ができるはず。
なのに、そんなつもりじゃないとか、こんなつもりじゃなかった・・という経験をするなら、信じているものがそもそも違うって自覚してないってこと。
本当に、自分らしく、自分を経験したい・・・思ってるか?
だけどね?
沙織ブログにもあるように、決して”自分からは逃れられない”
こんな自分は嫌だ!と思って変えたいのか?
もっともっと自分を丁寧に生きて、自分を好きになって、自分らしく生きたいと思うのか?
自分に誇りある生き方をしたいと思うのか?
過去の自分、自分に嘘をついた自分、大切に出来なかった自分に、遺言を言って新しい自分になってこれからを生きるのか?
それこそ「自分次第」でこれから生きるのか? 決めていってほしいと思う。
私が私でいられること、私を、自覚すること。
私が私でいられるもの、お互いが自分らしくいられる者同士で集えること。
それが今の私にとって、幸せに感じること。
私は、藤沢の担当として、のんちゃんとも色々話をしているけれど、愛で繋がる人たちと共に歩めるといいね〜と思うのは同じ志あればこそ。
藤沢だけに限らず、この新聞を読む人が、同じように愛で繋がる環境を目標に、これから準備して、肩を回して、温めていつでもO Kでだよ!って気持ち、心構えでいてほしい。
もう、時代は変わってる。・・・よ。
ということで、
その一歩を踏むなら見逃せないのが⇩⇩