見たいようにしか見れない

見たいようにしか見れない

やっほー🙌🏻 ミアだよ〜😁

今日のゴルフブログは
沙織~🌻

今回のは まさに!

ミアが 言葉にしたかった ところーっ‼️✨

痒い所に手が届く って言うけど
そんなもんじゃない!笑
ドンピシャリ…
静けさを感じるような
ハマり具合✨😂

すごい、すごすぎる。

「見たいようにしか見れない」

って言ったときに
ミアの話で言うと
「 頑張る と 楽しむ 」😂

先生の言葉で言うと
『 努力 と 理解 』

頑張る が 努力 で
楽しむ が 理解 って言ったときに
この世界観の違い って
次元の違い くらい 違うし
だから
観えるものが 違う…

『 違うわけ 』

(セミナーテーマにあったね〜😛)

コレを読んで
気づいちゃおー✨
 
  
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ゴルフ=生き方

 

この言葉を掲げ

LIFE VISIONゴルフ部では

ゴルフを通して自分を育てている

今では

人間学の実践版になっているのがゴルフ!

 

 

そこで最近 沙織が感じているのは

とにかく 自分が見たいように見てるんだな

ってこと…💦

 

…って言うのも

「ゴルフはクラブを振り回すもの」っていう

勝手な思い込みがあって

金城先生のスイングを

自分の思い込みに当てはめて見てしまう…

 

『クラブは落とすもの』と教えてもらっても

「落とすように回す」って自分の解釈が挟まる…

 

『グリップを引っ張るだけ』と教えてもらっても

「引っ張るように回す」って自分の思い込みから

離れられない…

 

とにかく回すことから 離れられない

 

しかも…そんなつもりはないからややこしい…

 

もつと酷いのは 拾い上げるように… 回す

 

地面に有るボールを拾い上げる

 

クラブを振り回す

 

それがゴルフ!

 

と確信して観ているから

先生のアドバイスが 難しく聞こえてしまう

 

これって 自分が解った(理解した)とき

そして 出来るようになったときに

気がついたこと…

 

そして同時に…もしかして…

これっていろんな場面で起こってる??笑

ってことは…ヤバいじゃん…笑

 

って思ってたら…

そこで先生が言ったのが

 

 

先生

『そこに何があるのか…事実

 

この言葉は深い』

 

だった!

 

 

沙織

「えーーー!!!

まさか!まさかの!!

プレゼントセミナーのテーマになってた

そのフレーズ…ここで出てきちゃいます?」

 

 

先生曰く

『  観察 と 観照

 

「観察」は

観察者の観点が入る

 

「観照」は

ただ観る

だから それをそのまま

あるがままに知る

 

観照は 無私

 

精神世界では 悟りとも表現できる

 

量子学では

観察対象は 観察者の影響を受けて

観察結果を変えてしまう… が 答え!

 

ここで言う沙織の見たいように観るとは

簡単に説明すると

 

「クラブは前捌き」

 

バックスイングで

決して頭の後ろにクラブを持っていかない

アドレスからフィニッシュまで

クラブは身体の前方にあるべきもの

しかし見た目では トップの位置が頭の後ろ側に

上がっているように見えてしまう

正しくは 頭の横

グリップは 胸の前方

実はクラブヘッドのみが

頭の後方に有るように見えるだけ

だから錯覚して 身体の後ろから

回しているように見えてしまう

それも実は 回すのではなく

身体を左に向けるだけで

クラブが回転運動しているように

見えてしまう

結果 グリップは真下へ降下していることになる

だから クラブは落とすが正しいとなる

 

が …しかし

 

拾い上げる… とか

振り回す… とか

その思い込みがあると

ここでの説明が意味不明に聞こえてしまう

 

コツを掴むとは 骨を掴むと本来は書く

 

難しいコツというのがあるのなら

それはコツでも何でもない

 

複雑なゴルフ理論は

とてつもない練習量が必要になることになる

 

コツを掴むとは

正しく 骨格の動きを理解することが 1番の近道になる

 

ちゃんと構えてアドレスして

ちゃんとトップに入れて

ちゃんとダウンスイングして

ちゃんとインパクトして

ちゃんとフォローをとる

 

だから ちゃんとしてないと

ちゃんと飛ばない結果となる

 

全てがちゃんとしてないと

ちゃんとした結果にならない

 

そんなことが可能なのだろうか?

 

話しは突然変わるが

 

西洋のノコギリは 押して切る

しかし 東洋のノコギリは 引いて切る…何故か?

 

身体の大きな西洋人は 背丈も体重もある

だから押しても力が加わる

しかし東洋人は小さくて軽い

だから押しては力が入らない

だから引いて切る

 

これをゴルフに当てはめると

特にインパクトを右手で押し込んでいく

イメージと

左手で引いてインパクトするイメージでは

力の差は歴然と変わってしまう

 

ハンマーを使うにあっても

グリップを真下に「引く」ことで

ハンマーヘッドが釘のある正しい位置へと

力強くピンポイントでインパクトする

これが 二重振り子の原理になる

 

骨格の動きと二重振り子の原理

それだけでも 力学そのものが

次元を超えて違う

 

スイングの技術

道具への理解そんな基礎知識すら無しに

見た目の繰り返しで

ゴルフは上達しない

 

私は ゴルフは何度も上手くなって

それ以上に 何度も下手になるスポーツだと

教えている

 

それは 若い時代に一世を風靡して活躍した

プロゴルファでも 一度 崩れると

なかなか復活して来ない

上手くいってた時が

何故 上手くいっていたかを知らないからだ

毎日 何百球も打って

練習の賜物で ある程度

ボールをコントロールできたとしても

練習場での再現に頼るのがオチで

ゴルフを 悟っているのでないのは明白だ

 

調子が良い 調子が悪いという言葉があるが

調子とは バランスの取れた

調和することであって

良かったり 悪かったりするものは

そもそも調子とは 言わない

 

悟るとは 覚えたことを無意識に出来る

ことを言う

 

だから 憶えている記憶では

ラウンド中の池やバンカーやラフや風や

ありとあらゆるトラップに感情が絡まり

マネジメントと不安対策の違いも判断出来ず

記憶喪失かのように

憶えたことが意味を成さない結果と繋がる

 

踏んだり蹴ったりのラウンドが待ってるだろう

 

ゴルフは レフリーがいない唯一のスポーツで

自己責任しか存在しない唯一のスポーツで

向き合うことでしか超えられない壁が

山ほどあるのが 魅力的だ

 

それを忍耐との勝負だと 考えるか

 

好奇心を煽ってしょうがないほど

ワクワクするスポーツだと思うかで

 

結果は 致命的に 違う

 

身体学的に 身体は否定用語を理解しない

 

だから ネガティブな人間にゴルフは向かない

 

沙織の気づきは 見た目と実際にすることの

ギャップの大きさは 思った以上に違うってことを

感じ始めたからこそ

出て来たものだと思う

 

ゴルフの上達も

学ぶ楽しさも

成長する喜びも 全部 含まれてるからこその

気づきだと思う

 

音痴は 音をそもそも聞かない

 

だから 音痴なのだ

 

聴く力を超えた 学びは存在しない

 

それに等しく

 

積極的で 謙虚な姿勢なしに ゴルフの上達は

ありえない

 

そんな気づきと成長に 沙織が 一歩

近づいたからこそ

見るから 観るへ

 

「そこに何が あるのか?」

 

それが 観えて来たんじゃないかな〜 』

 

 

またまたヤバい!!!

先生の説明を聴いて大興奮✨

やっぱりゴルフの上達と

人間性の成長って直結だなぁ〜って

今回 改めて実感した😊

 

「そこに何が あるのか?」

 

いつもそれを観れる

自分で在りたいと思う!!

 
 
 
 
 

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